フレディ・マーキュリーとエリック・クラプトン

毎日なかなか忙しい日々が続いておりまして、ブログの方はご無沙汰気味です。すみません。

忙しくしてはいるものの、なんとか時間を作って今月は映画を二本観てきました。両方とも音楽関連の映画。大ヒット中の「ボヘミアン・ラプソディ」と「エリック・クラプトン〜12小節の人生〜」です。

クイーンもクラプトンも中学生の頃から親しんできたバンド・アーティストですから、古くから親しくしてもらっている先輩の一生・半生を見せてもらっているような気分でした。趣は大きく異なりますが(「ボヘミアン・ラプソディ」は実話を元にしたエンターテインメントムービー、「エリック・クラプトン〜12小節の人生〜」は彼の半生を振り返るドキュメンタリー)、私にとって、どちらも涙なしには見られない映画。

本当に心から見て良かったと思う映画でしたので、また記事にしたいなと思ってはいるんですが、なかなか時間が……。今日は少しだけ思うところを。

不世出のパフォーマーでありヴォーカリストであるフレディ・マーキュリー。神とも崇められるギタリストであるエリック・クラプトン。類い稀なる才能(努力もまた凄まじいのですけれど)を与えられた二人の魂には、これでもかこれでもかと苦難が与えられる。出自の悩み、性的マイノリティである悩み、ドラッグと酒に囚われる日々、愛する人に拒絶される自分の愛、最愛の息子の死等々。

昔はかなり真剣にポピュラー音楽評論の道に進みたいと考えていたこともあり、映画の中で語られるストーリーはほとんど既知のものではあったんですが、その残酷な事実が映像化されると、やはり心の奥底に訴えてくるものがあります。

月並みな言い方ですが、しかしそれら苦難のゆえに、彼らの音楽は深みや凄みを湛えている。誰もがその強靭なメッセージを受け取ることができる。言葉が分からなくとも。音楽の知識がなくとも。大人であろうが子どもであろうが。

例えば、クイーンの超有名曲「We are the champions」。この曲、本当に人への優しさに満ちあふれた名曲だと思うんですよね。 I am a chmpion. じゃなくて、We are the champions. なんですから。「俺」が勝者なのではなく、「俺達・僕達」が勝者。「俺は闘い続ける」のではなく、「俺達は闘い続ける」。「俺達」はもちろんクイーンの4人だけではなく、この曲を聴く全員。

フレディの雄々しい歌を、ブライアン・メイの厚みのある暖かいギターが包み込むこの曲、他のバンドが歌っても、白々しい感じになるのは必至で、クイーンだからこそ、フレディだからこそ成立している。

We are the champions/ Queen 和訳

そしてまた例えば、エリック・クラプトンの超有名曲「Layla」。この曲の話は前から書きたいと思っているので、詳しくはまた別の機会にしますが、いつだって心から奇跡を感じる曲なんです。人が人をここまで愛することができるなんて。こんなに苦しい愛があるなんて。その切なさに涙が滲んでくる。だから大好きな曲なのに、たまにしか聴かない(聴けない)んですけどね。This tune have got me on my knees.

苦難を経てきた人は、どこかに優しさを秘めている。強い人は優しい人。優しい人は強い人。そんな思いを強くした二作品でした。