幼児教育の罪 #1

<はじめに>
この稿で「幼児教育」と呼んでいるのは、3歳や4歳の児童に「方程式」や「一次関数」や「高度な英会話」を教え込むようなシステムを指しています(狭義の幼児教育)。幼稚園の年長児が「ひらがな」を練習するといったごく普通の話は含みません。

私には3歳の息子がいるので、幼児教育の宣伝がしょっちゅう舞い込みます。

住民基本台帳を閲覧&筆写しておいたのをもとに(コピーは認められていませんでした)、エッチラオッチラ宣伝活動をしておられるんでしょうが、ご苦労なことです。
(現時点では、平成18年の住民基本台帳法の改正により、勝手な閲覧は出来なくなっています。)

広告に曰く、

「大切な今の時期を逃すと『数理能力』は伸びません!」

「今、英語に親しまないと英語で一生苦しむのです!」

「言葉の能力は3歳までで決まるって知っていましたか?」

いや、全部初耳なんですが…。(笑)

「ほとんど脅迫的な言葉でもって、子供を大切にしようとする親心をもてあそぶ不届きな奴ら、成敗してくれるわ!」と正義漢ぶるわけではないんですが、やっぱり悪質ですよね。

どんな親でも子供には幸せな人生を送ってもらいたい。そのためにも良い教育を与えてあげたい。私もその一人ですから、痛いほど分かる気持ちです。

しかし、幼児(早期)教育が本当に子供のためになるのか?私は常々疑問に思っています。この稿も、最初「幼児教育の功罪」というタイトルで書こうと思っていたんですが、「」が全然思い浮かばないので、「幼児教育の」にしてしまったぐらいですし。

そもそも「早ければ早いほど効果が上がる」「与えれば与えるほど成果が上がる」という考え自体が間違っていると思うんですよね。ことに子供の成長や教育に関しては。

子供のもつキャパシティから考えて、「与えた分だけ伸びる」のではなく「与えた分だけこぼれ落ちる部分がある」という風に考える方が自然ではないでしょうか。

子供の能力は未熟かつ小さいもの。小さなお皿に喩えられるでしょう。そこにご飯を載せ、肉を載せ、魚を載せ、野菜を載せ、果物も載せ、アイスクリームも載せ、おもちゃも載せ…。載るはずがありません。

ご飯を載せて食べ終われば、肉を載せてやる。食べられなければのんびり食べ終わるまで待ってやる。幼児の頃は、親がそうして忍耐強く付き合ってやるしかないように思います。

上述したような広告は、「子供には無限の可能性があります」なんていう訳の分からない美辞麗句をもとに、やれ「英語」を載せろ、「算数」を載せろとうるさいんですが、本当に心から思っているのか、と問い詰めてやりたい気分になります。

続きます。