手塚治虫には、大人向けのシリアスなマンガ作品が結構あります。この連休中、手塚シリアスマンガはいかがでしょうか。
私がここ2、3年で読んだ作品は、『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』『きりひと讃歌』。いずれも手塚治虫が全力を注いだと思しき力作です。
『陽だまりの樹』は、江戸末期が舞台。蘭方医の手塚良庵と武士の伊武谷万次郎が主人公なんですが、前者の手塚良庵(手塚良仙)は実在の人物で、手塚治虫の曾祖父。手塚治虫は、マンガの道に進みましたが、大阪大学附属医学専門部出身ですから、血は争えません。
手塚良庵にまつわる描写から、当時の医学界や学問状況がわかって非常に面白いんですが、私の場合、適塾に関するエピソードに興味を惹かれます。もちろん、緒方洪庵先生も福沢諭吉も登場。以前も書きましたが、大阪北浜の適塾は、日本近代科学の最大の源流と言っても過言ではありません。ある意味、阪大、東大(医学部は緒方洪庵先生が頭取を務めた西洋医学所の発展したもの、医学部初代総理も適塾出身者)、京大、慶應義塾大学の源流です。
当塾近辺の小学校には、適塾へ社会見学に行くところもあるんですが、子供だけではなく、大人にもぜひ見てもらいたい場所です。質素で飾り気のない施設なんですが、学問という合理性の風が吹き抜けてゆくのが目に見えるような場所です。ここで福沢諭吉が、ここで村田蔵六(大村益次郎)が、ここで橋本左内が、ここで佐野常民が、ここで洪庵先生が、と想像すると、日本の近代科学のスタート地点に立っているかのような気持ちにすらなります。
ついつい話が適塾紹介にそれてしまいましたが、『陽だまりの樹』、幕末ファンには特にお薦めの作品です。文庫本全8巻はかなりの読み応え。
『アドルフに告ぐ』は、第二次世界大戦前後のドイツ・日本が舞台。「アドルフ」という名前の3人の男(そのうち一人はヒトラー)を中心に話は進められます。どの男も数奇な人生をたどるんですが、その運命の交錯を描いた作品です。
時代背景が時代背景ということもあって、人間の業とでもいうべきものがテーマになっています。陰惨なストーリーは、正直に言って、やりきれない思いになるほどなんですが、グイグイ惹きつけられて最後まで一気に読了しました。こちらもまたお薦めの作品です。文庫本で全5巻。
『きりひと讃歌』もまた悲惨なストーリー。医学の暗い一面を告発するかのような内容は、読む人によっては反感を覚えるものかもしれません。モンモウ病という奇病と、その罹患者への差別(罹患者は骨が変形し犬のごとき風貌になる)が大きなテーマになっていますが、詳しくはWikipediaを引用してみましょう。
外見による差別や人間の尊厳などをテーマとする重厚なストーリー漫画である。同じ医療漫画である3年後の『ブラック・ジャック』がよりファンタジー色が強いのに対し、医学界における権力闘争を描いた社会派的色合いの強い作品となっている。舞台のモデルは、手塚の母校であり山崎豊子著『白い巨塔』でもモデルとなった大阪大学医学部である。『白い巨塔』の影響を多分に受けているという指摘に対して手塚は、モデルが同じである事に加えて、医学界という舞台は〈権威とかキャリアという要素をぬきにしてはドラマがつくれないほど〉封建的であることを述べている。
私は医学の道に足を踏み入れたことがありませんので、よく分かりませんが、大学の友人などに聞いてみると、医学部・大学病院では、信じられないような話がまだまだあるようです。ちょっと生臭すぎて、このブログには書けませんけれど。財前教授……(笑)。
ともあれ、この『きりひと讃歌』、医とは何であるのか、人生とは何なのかを読者に考えさせる重厚な作品であります。これまたお薦めできる一品。文庫本全3巻。
今振り返ってみれば、小学生の頃に読んだ『ブラック・ジャック』や『火の鳥』も、医療倫理や生命倫理といった問題を取り扱っているわけで、上記のような作品群の系譜上にあると言えるのかもしれません。