国難

大変な事が起きてしまいました。

マグニチュード9.0という超巨大地震が東日本を襲い、大型の津波や火災が発生、犠牲者の数は数千、場合によっては数万を超える勢いです。

地震が発生してからというもの、仕事の時間以外は報道にかじりついていますが、その甚大な被害には無力感・虚脱感を覚えます。

阪神淡路大震災の時には、大きな虚無感にとらわれながらも、まだ何か自分なりにできることがあったのが救いでした。が、今回は地理的な距離もあり、何も直接に貢献できないことが無力感を増幅させます。家族の間では、被災しなかったことに感謝しつつ、微力ではあっても、何かできるだけのことをしよう、そう話し合いました。

一人の犠牲者があれば、その後ろには莫大な悲しみがあるのだと思います。誰かが失われれば、その家族、近しい人達、友人、ありとあらゆる人に悲しみが降りかかります。いつ消えるともないその悲しみは、途方もない大きな波となって、人々の心を蹂躙し続けます。

今回の犠牲者の数を考えるとき、その悲しみの総量は、どこまで深くどこまで高くなるのか。耐え難いものを感じます。

そうした意味で、今回の大震災は「国難」と呼ぶにふさわしいものだと思います。犠牲者のご冥福を祈るとともに、願わくば、被災者の生活ができるだけすみやかに旧に復せんことを。遠い大阪の地より祈念します。