「開成の数学教師が伝えたいこと」を読んで思うこと

先ほど読んだウェブ版毎日新聞の記事の話。

令和のリアル 中学受験:算数が苦手な子どもの親に、「開成」の数学教師が伝えたいこと | 毎日新聞

インタビューを受けていらっしゃるのは開成中学高校で30年近く数学を指導してこられた先生なんですが、トップレベルの中高生を教えてこられただけあって、とても含蓄のあるお話をして下さっています。

私は塾で国語を中心に教えている者なので立場が異なりますが、大いに頷くところがあります。少し記事を引用して、私の考えも書き添えてみたいと思います。以下、引用部分はすべて上掲ウェブ版毎日新聞記事から。


開成中学の算数入試のことはよく存じ上げませんが、問題文に「式や図や計算などは解答用紙に書きなさい」との注意書きがあるとの由。なぜそんな注意がなされるのか。

「あなたの考えたことを知りたい」という意味合いですね。

試験時間が60分で、子どもたちは「解けないかも」と思いながらも、頑張って解くわけです。子どもですから、うまく表現できないのはしょうがない。

それでも、書いてくれたことを読んで、一人一人が考えたことを知りたいのです。

理想論を言えば、一人一人面接する形式でやりたいぐらいです。でも、膨大な時間とコストがかかってしまいますからね。

 

こういう方が入試問題を作成すれば、良い問題になるでしょうね。正直に言えば、答が合っているかはそれほど大きな問題ではないような気すらします。思考プロセスこそが最も重要。

今でもその傾向があると仄聞しますが、少なくとも私が受験生だった頃の京都大学の入試数学では、答そのものよりもそこに至る思考プロセスの方が遥かに重要だとされていました。下書きはもちろん、消しゴムで消した文字の痕跡まで見て採点官は採点して下さっていたとか。そこに現われる思考過程が正しければ、答の数値がズレていてもさほど減点はされない。

今、大人になって生徒さんを指導する立場になってみると、そうした採点がいかに良心的であったのかがよく分かります。お話をして下さっている松野先生の経歴を拝見すると、「京都大学大学院理学研究科修士課程修了」と紹介されていて、大いに納得(笑)。

国際数学オリンピックで金メダルを獲得した生徒がいました。卒業する前に「開成の6年間の数学の授業で印象に残ったことは何?」と聞いてみたことがあるんです。

授業だけでなく、自分でどんどん数学を学んでいましたから、「何もない」と言われることも覚悟していました。

彼は「中学2年の授業で、数学に公理というものがあると教えられ、びっくりしました」と言いました。

(中略)

彼は、公理の設定という数学の基礎をなす考え方に驚いたんですね。

公理は、証明なしに議論の前提として正しいと認める数学的主張のことです。

数学では、例えば、「なぜ三角形の内角の和は180度ですか?」→「それは、平行線の錯角が等しいからです」→「では、なぜ平行線の錯角は等しいのですか?」と、どんどんさかのぼって考えます。

彼はそこに「果てしないんじゃないか、終わりはあるのか」という不安を感じていたようです。

取り組んでいることがどれだけ正しいのか。「よく分からないな」と感じていた時に公理という考え方を知った。数学でも議論の出発点を設定できることが分かって、「それなら、やれるかな」と思ったそうです。

 

ああ、これもいい話ですね。中学2年生にして数学の構造というものを厳密に捉えている。もっと言えば、意識的にか無意識的にか数学の論理性を突き詰めて考えている。

私は数学があまり好きではありませんでした。もちろん私に才能が乏しいのがいけないんですが、言い訳を許して貰えるならば、「論理的に見せながら、どこかの段階で『自明である』として証明をオミットしてしまう雑さ」が嫌だったんだろうなと思います。

数学という構築物は「公理」から組み立てられていて、その「公理」は証明なしに認めて良い、「公理」の証明は出来ない。そんなストッパーがこの学問にはあるということを、中学生にリアルに伝え、教わる中学生も新鮮な驚きを以てそのことを学ぶ。本当に素晴らしい環境だと思います。

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』にも通じる話だと思ったんですが、深入りはしないでおきましょう。

次は数学が苦手なお子さんを持つ保護者へのメッセージ

――「私は苦手だったけど、子どもには得意になってほしい」と思っている親は多いでしょう。幼少期から算数・数学教育に力を入れる家庭もあります。

一言で言えば、「急がないこと」です。大切なのは、もう、その一点ですね。

27年間、数学教員をやってきましたが、数学的な物の見方を養うのは、すごく時間がかかります。

大人は忙しいから、すぐに考える道筋や答えを教えたくなる。そこをこらえて、じっと待つことが大切です。

数学は、自分で道筋を見つけるのに1時間、2時間過ぎることはざらにあります。

考え始める。分からない。自分が分かるところまで戻る。それを手がかりに、また考える。

大人なら当たり前のようなことでも、子どもが自分で発見したことや、証明できたことをほめてやってほしいですね。自信がつくと、また新しい挑戦ができるようになります。

――理解するには時間が必要なんですね。

数学の達人になれば、時短はできます。数学に習熟すると、さまざまなことが効率よく行えるようになります。無駄を省いたり、複数の方法から最適なものを選んだりもできます。

でも、「数学の達人」になるためには、膨大な時間と手間がかかる。どうもそういう仕組みになっているみたいです。そのことを理解して、「待つ」ことが大切なんだと思います。

 

これは全ての受験生と保護者様に読んでもらいたい部分ですね。正直に言えば、この先生が教えていらっしゃるのは、全中学生高校生の中で見てもブライテストな生徒さん達です。その子達にして、「数学的な物の見方を養うのは、すごく時間がかか」るわけです。しかし、そこを何とか耐えてしつこく考える。そして教える側もじっと堪えて待つ。難しいけれど、それが本当に大切。

これは国語も全く同じだと思います。何かテクニックがあって、それを学べばスラスラ文章が読めて問題もバシバシ解けるようになる……。そんなのがあったら私が教えてもらいたい(笑)。国語的な、いや、論理的なものの読み取り方や考え方を身に付けるには、どうしても多大な時間が掛かります。

この先生がおっしゃるのと同じようなことを私も思います。国語力が向上すれば、時短はできます。そして効率良く様々な勉強に活用できます。スピードを上げる相談をよく受けますが、それは二の次です。国語力が高まれば、自然に文章を読むスピードも問題を解くスピードも上がってきます。

もちろん、受験生なんですから時間的制約があるのは事実。しかしその中でも、「急がないこと」=「腰を据えてじっくり取り組むこと」を重視して欲しいと思っています。