文学作品に見るバイク

昼ご飯を食べながら本を読むことがままあります。3日ほど前は平林たい子の作品を読み、なんか読まなきゃ良かったなと思い(笑)、昨日は宮本輝を。

宮本輝氏の作品はいいですね。大阪の地に住まう人々独特の人情だとか意地汚さだとかが巧みに描写されていて、大阪人たる私にはとてもリアルな世界に見えます。まあ、大阪には泥のような醜さもあれば、そこに咲く蓮の花のような美しさもあるといったところでしょうか。どこの街も住んでみればそういうものだろうとは思いますけれど。

ただ、昨日読んだある短編にはちょっと納得がいかないところがありました。もちろん、その部分の描写にこだわらなければ優れた短編だと思いますし、そもそもこだわるべきでないところなのかもしれませんが……。

それは主人公と友人が一台のバイクに同乗するシーン。


ちょっと話は逸れますが、一流とされる小説家の作品の中にバイクが出てくると、その描写、驚くほど平板なものであることが多いんですよね。誰とは申しませんが、某小説家の作品は、バイクが出てくると、ほぼ全部運転手が事故死するんですよね(笑)。

いや、人の死を笑ってはいけないんですが、バイクの排気量もジャンルもへったくれもありません(おそらくそうした知識が皆無だと思われる)。スピードの出しすぎが原因だとか、未熟なスキルが原因だとか、路面状況だとか、そうした事故の状況も全く分からない。単に「Aはバイク事故を起こして死んだ」で片づけられる。新聞記事の方がまだ詳しいぐらい。バイク蔑視というか偏見に近いものを感じます。

もちろん、バイクの描写が大変詳しい小説もあるにはあるんです。ただ、そういう小説って、作品全体で見るとだいたいつまらないんですよね(笑)。ステレオタイプな登場人物が多くて既視感に溢れていたり、人物の感情描写が全体的に平板だったり、ご都合主義的なストーリー展開だったり。なかなかうまく行きませんな。


って、愚痴はそれぐらいにして、宮本輝氏の作品を細かく見てみましょう。『昆明・円通寺街』という短編小説です。

中学高校と同じ学校だった友人の石野に深刻な病が見つかる。石野の余命はごく僅か。主人公は所用があって中国の昆明に出かけるが、同行者と観光に出かける気にはなれず、街の料理店の片隅で、ひとり石野に向けての手紙を書く、というシーン。

私はそのとき、ふいに、石野の運転するオートバイのうしろに乗り、開通して間もない名神高速道路を素っ飛ばした夜を思い出したのである。

石野は、夏休みに入ってすぐの、熱い蒸気に包まれたかのような寝苦しい夜、私の住まいを訪れた。窓からそっと顔を出した私に、石野はオートバイにまたがったまま、
「名神を走ってみィひんか?」
と声を忍ばせて誘った。

(中略)

私は気がすすまなかったが、石野は執拗に誘いつづけた。わざわざ私を誘うために、尼崎から大阪の福島区まで来たことを不審に感じた。私は涼みに出るふりをして、階段を降りた。
「茨木のインターチェンジまで国道で行って、そこから名神で尼崎まで帰ろ」
石野はオートバイのハンドルを叩き、
「新品やで。百二十五ccや」
と言った。私がなぜ、石野の運転するオートバイに乗ったのか、そのときの自分の心をどうしても思い出すことは出来ない。

(中略)

高速道路に入ると、石野はオートバイの速度をあげた。
「おい、いま百四十キロやぞ」
「それ以上は出すなよ」
私は石野の腰に両手を廻し、長距離トラックを追い越すたびに体に力を込めた。 茨木から尼崎のインターチェンジまでを、石野は二十五分で走った。 料金所で金を払い、オートバイを国道につづく道に停め、私と石野は、口の中の蚊を吐き出すために、唾を吐いた。

(中略)

「あかん。パンクや」
オートバイの前輪のタイヤがパンクしていたのだった。私たちは高速道路の料金しか持っていなかった。
「なんで、パンクしたんやろ」
修理代のことばかり心配している私に、石野はそう言った。
「なんで、オートバイを停めてるときにパンクしたんやろ」
石野は、とぼとぼ料金所まで歩いて行き、修理屋がどこにあるのかを訊くと、口を半開きにしたまま、無言でオートバイを押して歩いた。私も、次第に石野の無言の意味が判ってきた。時速百四十キロで高速道路を素っ飛ばしているオートバイの前輪がパンクすれば、いったいどうなるのか。そして、いったいなぜ、タイヤは、道端に停めているあいだにパンクしたのか。

個人的には、ちょっと驚きの描写が続きます。

まず125ccのバイク、現行法上では「第二種原動機付自転車」と呼ばれるカテゴリーに属しますが、このカテゴリーのバイクが高速道路を走ることは禁じられています。

小説の時代設定はおそらく1960年代ごろ。私の生まれる前ですので、ひょっとしてその頃は原付二種でも高速道路を走行可能だったのかと思い、調べてみましたが、やっぱり走行不可。昔はETCなんてありませんから、高速道路に乗る時は通行券を係員から受け取りましたが(懐かしい)、どうやって係員に止められず名神高速に入ったのか。うむむ。

加えて、高速道路でのバイク二人乗り(タンデム)。割と最近まで高速道路でのタンデムって違法だったんですよね。調べてみると、アメリカの圧力でタンデムが合法化されたのが2005年。違法化されたのは1965年だったとのことなので、この点ではセーフな描写なのか?でも、そもそも125ccバイクの高速道路走行自体が違法ですしね。

何よりも私が驚いたのは、「時速百四十キロ」の描写です。石野がしがみついてくる主人公を驚かせようと嘘をついているのかと思ったんですが、「時速百四十キロで高速道路を素っ飛ばしているオートバイの前輪がパンクすれば、いったいどうなるのか。」との文言があるので、どうやら嘘や冗談ではないらしい。

あの、125cc原付二種のバイクで、しかも二人乗りでそんな速度はどう頑張っても出ないんですけれど……。こちらも私が生まれる前の話ですので、一応そのころのバイクの性能を調べてみましたが、2ストロークエンジンであれ、4ストロークエンジンであれ、最高出力が5HPとか7HPとかそんなレベルです。現代の50cc原付バイクに毛が生えたような出力ですね。二人乗りだと、最高速はいくら頑張っても時速70km程度だったのではないかと思います。

ちなみに令和の大型スーパースポーツバイクであれば、200HPオーバーなので、二人乗りでも余裕で時速250kmです。もちろんそんな運転をしていれば、命と免許がいくらあっても足りませんけれど。

別の記述からスピードを計算してみます。「茨木から尼崎のインターチェンジまでを、石野は二十五分で走った。 」というところです。

Googleマップで茨木ICから尼崎ICまでの道のりを計測してみると38.5km。ここを25分で走った場合の平均時速は、38.5km÷25/60時間=92.4km/h ということになります。先程の「時速百四十キロ」よりは現実的ですが、二人乗りの125ccでは、やはりちょっとばかり無理がある速度。

関西人ならこの区間をよく利用する方も多いと思うんですが(もちろん私もです)、この区間を30分弱で走るのは、現在の交通感覚としてそれほど飛ばしている感じはありません。追越車線で飛ばすのではなく、走行車線で車輌の流れにのって走っているペースですね。そういう意味でもやっぱり速度感がひっかかる。

あと気になるのは「前輪」のパンク。バイクに乗る人ならよくお分かりかと思うんですが、公道でパンクするのはほぼ「後輪」です。おそらく自動車もそうなんじゃないでしょうか。

理屈はこうです。道路上に釘などの突起物が落ちている。横になっていれば特に問題無く通過できるが、スピードを出していると、前輪が通過する際にその突起物を「起こしてしまう」。その突起物が起きた瞬間、後輪が通過してしまいパンクを引き起こす。

実際、私が今までに経験したパンクは、バイクでも自動車でもすべて後輪側でした。「前輪」のパンクはちょっとレアな感じがします。

と、まあ細かい所が気になって仕方がないんですが、小説自体はとても上質な作品だと感じました。まあ、小うるさいおっさんの戯言でございます。宮本輝氏の小説は、醜い世界を描きながらも、そこに潜む美しい人間性を活写しているものが多く、素晴らしい作品世界があることを、念のため付言しておきますね。