微力ながら山下達郎を弁護したい

しばらくブログから遠ざかっておりました。申し訳ございません。毎日毎日、仕事を中心にやる事だらけでして。

世の中は世の中で驚く事だらけです。私の敬愛する山下達郎が、一部の人からジャニーズ問題で誹謗されるなんて!

ファン(私もその末席を汚しております)は、彼の音楽や人間性をよく知っていますので、今回の彼の発言も筋の通ったものにしか聞こえないと思うんですよね。「晩節を汚した」とか「もう聴かない」なんて言っている向きは、多分テレビやラジオで流れてきた曲を受動的に聴いているだけで、CDやレコードを買いもせず(彼はサブスクに自身の作品を公開していません)、ライブに足を運んだこともないんじゃないだろうか。

「僕のことを、忖度する人間・長いものに巻かれる人間だと思うならば、それでも構わない。そういう人に私の音楽は不要なんでしょう。」彼は自身のラジオ番組でそうおっしゃったらしいんですが、私から言わせると、「忖度」とか「長いものに巻かれる」といった所から最も遠いところにいる人ですよ、山下達郎は。

私から見た山下達郎のイメージは「頑固な職人」。おそらく御自身のセルフイメージも同様だと思います。彼には『アルチザン』という作品がありますが、この「職人・技工」という意味を持つタイトルは、御自身のセルフイメージであり、また目指す境地でしょう。

そんな頑固な職人、我が国最高峰の職人が忖度なんてするはずないだろ!自分の腕一本で生きてきた人なんだぞ!みんなどれだけ読解力ないんだよ!

いや、熱くなりすぎたかもしれませんね(笑)。でも、私の嘘偽りのない気持ちです。

そもそも、山下達郎はジャニー喜多川の性犯罪行為を許しているわけでも何でもありません。そのことが本当ならば断固許容できないとハッキリ述べている。その前提のもと、ジャニーが今までプロデュースしてきたアイドルグループや作品、そしてその手腕を評価しているに過ぎないわけです。

確かに、山下達郎はジャニーズのアイドル達にいくつもの作品を提供してきました。まさに職人技と言うにふさわしい作品群です。でもそれがどうして、ジャニー喜多川を非難せねばならない立場に山下達郎が立っていることにつながるのか。私には全く分かりません。それだったら松本隆(『硝子の少年』作詞)も非難しないと筋が通らんじゃないか……。

ジャニーズのアイドル達に山下達郎が作った曲は、ジャニーズファンだけではなく、私のような山下達郎ファンにとっても宝のような作品なんですよね。その最右翼は、Kinki Kids『硝子の少年』 だと思いますが、是非一度ヤマタツバージョンを聴いて欲しいと思います。

少年期独特の切なさをこれほどまでに表現できるアーティストって他にいます?私なんかこの曲を聴く度に、少し年上のお姉さんに実らぬ恋をする高校生のような気分になります。いや、50代なんだけどさ……(笑)。

雨が踊るバス・ストップ
君は誰かに抱かれ
立ちすくむぼくのこと見ない振りした
指に光る指環
そんな小さな宝石で
未来ごと売り渡す君が哀しい

『硝子の少年』 作詞:松本隆

山下達郎の切ないメロディーに乗る松本隆の歌詞、ああ、もう本当にうまい歌詞です。上手過ぎる。君の指に光る見たこともない指輪。高校生の自分には買えそうもない宝石。そんなつまらない物であの男のもとに走るなんてバカじゃないのか。僕は悲しい、君がそんな女性だっただなんて……。そうした文脈だからこそ、「宝石」は「いし」と読まれることになるわけですね。もちろん、この「読み」は、主人公から見た宝石の無価値性ひいては彼女の無節操さを表しているわけです(これ、いい国語の問題になります)。

実は昨年8月、初めて山下達郎のライブに参加する機会を得たんですが、妻も私も感動の嵐。もう感動しすぎて、ブログに書けなかったぐらいです(何から書けばいいのか)。音楽だけではなく、「仕事」に関する考え方についてもとても見習うべきところが多く、正直、自身の考え方も少し変わったぐらいインパクトのあるライブだったんですよね。

個人的には、今回の件、黙ってやりすごすのが最も得策だったと思うんですが、自分の言葉でしっかり立ち向かうのが山下達郎らしいと感じます。その点がファン以外の人々に伝わっていないのが何とも歯がゆいところ。最高の音楽職人にこれからも私はついて行くつもりです。