ピーマンが食べられなくても構わない いつかはきっと鈍感になる

忙しすぎてなかなかブログに手が回らない日々が続いております。何となくこのまま年末の繁忙期に突入していきそうな予感が。

どうでもいい話かもしれませんが、皆さんは幼い頃にピーマンを食べることはできましたでしょうか?私は全く食べられませんでした。というか、好き嫌いが異常なほど多かったんですよね。

給食は食べられないもののオンパレード。完食を求める先生に毎日毎日怒鳴りつけられます。「あなたはもう昼からの授業を受けなくてよろしい!食べられるまで図書室に行ってなさい!」ピーマンを始めとする食べられない食材満載の給食皿を、人気のない図書室まで一人運びます。やるせない気持ちでいっぱいになりながら。

授業を受けられないこと自体はどうでもいいんです。わかりきった話が延々と続く苦痛な時間に過ぎませんでしたから。ただ、一人きりで屈辱感を味わいながら過ごす5限目6限目は辛いものがありました(だから今でもよく覚えているんだと思います)。

私だって頑張って食べられるものなら食べたかったんですが、どうしても生理的に受け付けないものは仕方がありません。口に入れるや吐き気を催し、飲み込もうものなら一気に胃中のものを全て吐き出してしまう。生理的反応なので意志の力ではどうしようもありません。

6限目が終わると先生が図書室にやってきます。一口も食べられていない私を蔑むような目で見て仰る言葉は、「2時間もあったのにどうして一口も食べられてないの!いい加減にしなさい!」

私は何も言えず真っ赤な顔で俯くしかありません。「あなたは給食職員さんにまで迷惑をかけているのよ!」と罵られながら、給食配膳室にまで食器を返却しにゆく毎日……。

今だったら心臓に毛の生えた人間に成り下がっておりますので、「先生、これは授業を受ける権利の侵害ではないでしょうか?然るべき機関に相談し、場合によっては是正措置を求めたいと存じますので、予め先生のご見解を承ってよろしいでしょうか?」と言えるんですけれど、小学3年生の私にそんな気概はありません(あったら怖い)。無理やり食べて吐瀉物にまみれながら転げ回っている方が効果的だったかなと思ったり(笑)。

で、今はと言うと、ピーマンは好きな食材の一つです。ピザに乗っているピーマンは最高に美味しいよね!青椒肉絲もうめえ!

ピーマンのみならず、成長と共に好き嫌いはなくなりました。特に努力した覚えはありません。大学生になった頃でしょうか、食べられなかった食材が、ごく自然に美味しく感じられるようになったんですよね。小学生時代は一体何のために苦しみ、何のために怒られていたのか。

長じてから本を読んで知ったのは、幼い子供が苦いものや癖のある味のものに対して拒絶反応を示すのは、ごく自然な事柄だということです。動物の本能として「苦味」は「毒」と判定され、そうしたものを体内に摂取することを拒絶するように脳がプログラムされている。大人になるにつれ、そうした生命維持のための反応が鈍麻してきて、「苦味」を受け入れられるようになってくるという次第。

「好き嫌いがなくなればいいな、どうしたらいいんだろう」と心から思い、七夕の短冊にはいつもそんな願いを書いていた私からすると、目から鱗の話です。むしろ、人よりも生命維持本能なりサバイバル本能なりが優れていたのではと思ったり。今でもビールは匂いを嗅いだだけで吐きそうになるので、生命維持本能は健在ですね(笑)。


さて、本題はここからです。

本当に心から残念なことだと思いますが、例年9月初頭には、自ら死を選んでしまう学生が多いと聞きます。勉強関係であるのか人間関係であるのか、何らかの重い悩みがあり、夏休みを終えて学校生活に戻ることが耐え難い苦痛だと感じられるんでしょうか。

もし、そういう人がいるなら、上述の好き嫌いの話を思い出して欲しいんです。

あなたの悩み、今はとてつもなく重くて支えきれないもの、乗り越えられないものに思えるかもしれません。でもそれは今だけの話。あなたの人よりも繊細な心が、人より敏感で鋭い本能がそう思わせているだけ。

少し時間が経てば、あなたは嫌でも大人になります。悪く言えば鈍感になる。そしてちょっとやそっとのことでは折れない厚かましい人間になる。

そうですね、三〜四年もすれば、悩みなんて笑い話に変わります。「あの時は何をあんなに真剣に悩んでたんだろう。あんなウンコみたいな話で悩んでいたなんて馬鹿みたいだ。」

そんな笑い話みたいな「悩み」で死を選ぶなんて、本当に馬鹿げていると思うんですよね。「お前みたいな鈍感なおっさんなんかに私の悩みの何がわかる!」と怒られそうですが、君もあなたも鈍感な厚かましいオッさんオバはんクラブに入ることは必定です。必ずやそうなる。

だから死を選ぶのだけはちょっと待って欲しいなと、若い人の悲しい話を聞くたびに思っています。ピーマンはいつか美味しいものに変わる。悩みは笑い話へと転化する。

ピーマンが食べられないままだったらどうすればいいのかって?実は大人になると、「ピーマンなんか食えるかっ!俺にピーマンを食わせるな!」という権利ができてきます。自分で働いて稼いでいるんだから、誰に文句を言われる筋合いもありません。好きなものを食べて生きていけばよい。悩みを生ぜしめる人間や環境からは遠ざかればよい。

若い人が未来を無駄にするのを聞きたくない。周りの人が悲しみの底に沈むのを見たくない。そんな思いでいっぱいです。