これは良い意見だなと思うTweetをご紹介します。ある外科医さんのTweet。
語彙力が豊富で言語化が得意な人は、自分の中の感情を整理したり、自らの悩みや眼前の困難を正確に把握するのがうまく、効率的に手を打つ。
「言葉をたくさん知っていることがなぜ大切か」の答えに「自己解決の効率性」があるというのは、重要な事実だと思う。— 外科医けいゆう (山本健人, Takehito Yamamoto) (@keiyou30) June 5, 2022
本当にそうなんですよね。言語操作能力(国語力といってもいいでしょう)というのは、他者との交渉の中でのみ生きるものではありません。自分の感情や意思をきっちりと把握すること、それに対する有効な考えを組み立てることにも大いに役立つ力であると思います。
まだ言葉を持たぬ幼い子がむずがっている場合を考えてみてください。
自分が不快な状況に置かれていることは間違いないけれど、それをどう認識すればよいか、どう伝達すればよいかがわからないので、泣きわめくしか方法がない。周りの(愛情ある)大人達が、「オムツが汚れて不快なんだな」「お腹が空いて泣いてるんだな」と理解して世話してくれるのを待つしかありません。
成長してくると、自分の感情や置かれた状況を把握した上で、それを他者に伝達することが徐々にできるようになってきます。子供でもそのあたりが上手な子は「やりやすい子」として人からの覚えがめでたくなる。逆に少年院に送られるような子は、認知の大きな歪みがあることが多いことが知られていますが、これも言語操作能力と大きな関連を有していると思います。
言語操作能力というと、自分の考えや状況を言葉で他者に伝達するという面がクローズアップされがちです。もちろん伝達面も大切なんですが、上掲Tweetにあるように、「自分の中の感情を整理したり、自らの悩みや眼前の困難を正確に把握する」ことが先決です。そうしないと他者に自分を伝達することはおろか、己の心を決めることもできない。
私が思うに、この部分が未熟だと人生はとても苦しいものになるのではないか。自分で自分を客観的に認識・描写することが、他者とのまともな交渉・意思疎通のスタート地点にあるからです。
もちろん意思疎通をなしうるのは、言葉だけではありません。身振りもあれば表情もある。しかし、精緻に自分の感情や状況を把握して伝達するのに「言葉」にまさるものはありません。言葉の認識能力や操作能力が乏しければ、自分で自分が理解・描写できず、ひいては他者に自分を伝えることもできない。
我田引水的かもしれませんが、語彙を豊富にして言葉の能力を高めるということは、「人生を豊かにする」どころではなく、「人生に必須」なのではないかと思っています。