なんだか落ち着かない日々が続きますが、塾生さんたちはむしろ普段より真剣に勉強に取り組んでくれているような気がします。学校生活で消耗していないのと、「全然勉強しないのはまずいぞ」という感覚がそうさせているんでしょうか。いずれにせよ、しっかり勉強してくれるのは私たちとしても有り難いことです。こちらもちゃんと任務を果たせるように、健康に留意して過ごしております。
さて、ダジャレの話。ダジャレというのは低く見られがちな種類の言葉ですが、和歌の技法である「掛詞(同音異義語を活用する技法)」を思い起こしてもらえれば、そう捨てたものではない、いや、実はなかなか高度な言葉ではないかと思うんですよね。実際、幼い子供は、その乏しい語彙ゆえにまだダジャレを言えません。
とはいえ、ダジャレを言いまくる人は敬遠されがちですし(だって愛想笑いするのもしんどいですよね)、そもそもダジャレを言うことは老化のサインという話もありまして、そうそう口にはできない言葉でもあります。
そんな言い訳をしつつ、ある種の店に向かうと、いつも頭に浮かんでしまう言葉があります。
「疾風怒涛る」に入ろっか。
はいはい、ドトールね。
すさまじい風が吹きすさび、アイスコーヒーの波しぶきが荒れ狂う……なんてカフェは嫌ですけどね。
ちなみに、「疾風怒涛(しっぷうどとう)」は、強い風とさかまく荒波の意。比喩的に非常に困難な状況を指すこともあります。
「弱法師カメラ」行ってくるわ。
はいはい、ヨドバシカメラね。
かつて関西にヨドバシカメラはありませんでしたが、今やすっかり代表的な家電店になりました。私は初めて「ヨドバシ」という言葉を聞いた時から、「弱法師(よろぼし)」という言葉がぴったりと影のように寄り添っているような感じがしておりまして、心の中ではいつも「ヨロボシカメラ」と呼んでいます(笑)。
ちなみに、「弱法師」は有名な謡曲。
日本国語大辞典にはこう紹介されています。
謡曲。四番目物。各流。観世十郎元雅作。クセは世阿彌作。河内国高安の里の左衛門尉通俊は、ある人の讒言(ざんげん)を信じて子の俊徳丸を追い出すが、後になってあわれに思い、子の二世安楽を念じて天王寺で施行をする。俊徳丸は今は盲目のこじきとなって弱法師と呼ばれているが、折りしも天王寺を訪れこの寺の縁起などを語る。それを見て通俊はわが子と気づくが、人目をはばかって夜になってから親子の名乗りをあげ、ともに高安に帰る。よろぼし。
ヨドバシカメラで親子の対面……なんてことを考えている人も結構いると思うんですよね(いねーよ)。
「含飴弄孫」で支払いしておいてくれない?
いいよ、ローソンに行くついでもあるし。
「含飴弄孫」、あまりポピュラーな四字熟語ではありませんが、漢辞海には掲載されていますね。
【含飴弄孫】(あめをふくみてまごをもてあそぶ) 口に飴を含んで孫の気持ちをひく。晩年の楽しい生活ぶりの形容。〈後漢・明徳馬皇后紀〉
音読みは載っていませんが、「がんいろうそん」と読みます。
だから、私にとってローソンって、おじいさんが飴玉をしゃぶりながら可愛い孫と楽しく買い物をしているイメージなんです。そんな連想をしている人も結構多いと思うんですよね(いねーよ)。
しょーもない話ばかりですみません。
さて、「含飴弄孫」の境地を目指して頑張りますか!