「アンガーマネジメント」は危険な考え?

最近よく「アンガーマネジメント」という言葉を聞きますよね。詳しく調べたわけではありませんが、概要、こんなところらしい。

「怒りの大きな波は6秒経過すれば収まる。だから、怒りを感じた時でも、絶対に反射的に行動してはダメ。6秒じっと我慢してから、次の行動を考えよう。そうすれば、ケンカやトラブルが避けられる。『6秒ルール』を徹底しよう!」

初めてこの話を聞いた時、すごく違和感を覚えたんですよね。そんな悠長なことを言っていたら、反撃の機会を失う。何らかの攻撃を加えられたら1秒以内に反撃しなくては、と個人的には思っています(笑)。

そういう攻撃的なところがいかんのだと言われそうですが、不必要に怒りをため込むことは不健康だと思うんですよね。アンガーマネジメントというと格好はいいけれど、ただでさえ感情の抑圧を要求しすぎるきらいのある日本社会で、こうした姿勢が強調・推奨されるのは、精神衛生の観点からよろしくない気がします。

もちろん、自分の感情の起伏をコントロールすることは大切ですし、何でもかんでも感情を露にすればよいというものでもありません。穏やかに日常生活が送れるならば、それに越したことはない。

でも、怒りを感じて、そしてそれが正当なものだと判断すれば、即座に正々堂々と主張したほうがいい。6秒も待ったら、その気持ちが失われるんじゃないでしょうか?子どもを叱る時もそうですよね、即座に叱らないと効果は薄い。

怒りを表明することで相手が謝ってくれれば、仲直りすればいいし、何時までたっても議論が平行線になるような相手なら、そんな人と付き合うのは時間の無駄です(はい、さよなら)。また、議論の中で、自分の怒りが誤っていることに気付く場合もあるかもしれません。その時は素直に謝ればいい。

人には人それぞれの立場や地位がありますから、そんな単純な話でないことは百も承知ですが、原則論としては、やはり、怒りを感じたら即座にその場で表出したほうがいいと思っています。


あ、こんなことを書いていると、保護者様や生徒さんに怒りを感じているのかと思われそうですが、そんなことはありません。

幸いなことに、今までお付き合いさせていただいた塾生の保護者様は冷静な方々ばかりで、そもそも怒りを感じるようなケースは皆無でした。仮に意見の相違があっても、お話し合いのなかで理解しあえる方々ばかりでしたので、声を荒らげたことは一度もありません。というか、当塾においでくださる有り難い方々に声を荒らげるなんて、失礼すぎて想像だにできません。

生徒さんの方については、当方の指導に従ってくれないというケースが稀にあります。この場合も、やっぱり怒りは感じません。お子さんをお預かりして、学力や成績を上げることが私たちの任務なのであって、むしろ「どうしたら指導に従ってくれるのか」「どのように言えば素直に言うことを聞いてくれるのか」ということを冷静に判断・計算しています。

その結果、優し目にたしなめることもあれば、結構厳し目に言うこともありますが、怒りの感情に任せて、なんていうのは今まで一度もありません。あくまでも「お預かりした生徒さんの学力を向上させる」という目的に沿って、私も副代表も行動しています。


話を戻しましょう。先述のような考えから、個人的には、相手からマイナスの感情を投げつけられたら、その場で即座にその負の感情を投げつけ返すようにしているんですよね。これ、私流の健康法。褒められたメンタルヘルス維持法ではないかもしれませんが……。

でも、考えてみてください。そもそも無神経なことを言ってきたり、無礼な行動をしてきたのは相手方です(もちろん前提として、自分側は「善」じゃないとだめですよ)。

ここは自分が大人になって見過ごせばいい、あいまいに笑ってやり過ごしておこう、という姿勢はあまり健康的でない。自分の中に生じたマイナスの感情は、相手方に責任があるのだから、それを投げつけ返しても何の問題もないと思うんですよね。

もし仮にその場を穏便に済ませてしまうと、自分の中にマイナスの感情が残りますよね。私の場合、単純なので結構すぐに忘れてしまうんですけれど(笑)、それでも少しの間はイライラさせられてしまう。

「あの時言い返しておけばよかったな」「あのまま流すべきじゃなかったな」そうした感情は仕事や日常生活の妨げになります。自分のせいじゃないのに。私が嫌なのはその点なんです。他者のイーブルな感情によって、どうして私の仕事や生活が妨げられねばならないのか。メンタルの弱めな人だと、こうしたことの積み重ねが鬱へとつながるかもしれません。

でも、即座に相手に逆ねじを食わせれば、少なくとも上記のように後々くよくよしなくて済みます。精神的に健康な生活を送ることができる。相手方はイライラするかもしれませんが、それは自業自得ということで(笑)。

いえ、別にトラブルを自分から招いてやろうと思っているわけではありません。専守防衛。普段はほんとうに穏やかにニコニコと暮らしています。

ただ、売られた喧嘩は絶対に買う。というか、大人の喧嘩って、要するに頭でする喧嘩だから(大人の場合は暴力を振るった瞬間に負け)、とても楽しいんですよね。トラブルが起きると逆にニコニコわくわくしてきたりして。オラ、ワクワクしてきた。悟空かよ。多分、将棋指しとかチェスプレーヤーが勝負の時に感じているのと同じような感覚じゃないかと思います。

まあ、生粋の大阪人故の思考かもしれませんが。


先週、地下鉄に乗って移動していたときの話。座ってiPhoneでニュースを読んでいると、隣の席から何やら気になる話が聞こえてきます。聞き耳を立てていたわけではありません。大きな声なので嫌でも聞こえてきます。

「お前それ、何の勉強しとんねん?」
「受験のための英語です……。」

尋ねているのは50代〜60代と思しき男性。答えているのは高校生(または浪人生)。ちらりと目をやると、英語のテキストを手にしています。ヘッドフォンでリスニングのトレーニングをしている模様。

「お前、そんな勉強して何になるねん?」
「大学に行きたいので……。」
「どこの大学目指してんねん?」
「○○大学です……。」

京都の有名私大の名前を挙げた受験生君、とても迷惑そうなんですが、男性はしつこく話しかけます。

「そんな大学行ったって意味あるかい!」
「はぁ……。」
「やめとけ!やめとけ!」
「はぁ……。」
「だいたい勉強なんかしたって意味ないんじゃ!」
「はぁ……。」

怒りがふつふつと湧いてきます。大体、何の権利があってお前は一生懸命努力している若者の邪魔をするのか。あまつさえ、勉強や大学進学が無駄だとまで言う。(おそらくは)自分が努力してこなかったことを認めたくないだけなんじゃないのか。

加えて、受験生君にも(不合理だとは思いつつも)少々腹が立ちます。勉強の邪魔をしてくる人間・自分の志望校をバカにする人間にわざわざにこやかに応対するんじゃない。言い返すか、無視するかすればいいのに。

私が高校生の頃なら、最低でも「やかましわ、おっさん。誰に向かって話しかけてんねん。勉強のジャマやから黙っとけや!」ぐらいは確実に言っていたはず。暴言すみません。でもこのレベルなら、大阪では軽い挨拶レベルです(笑)。普段は上品な高校生だったんですよ(多分)。

そんなわけで、男性に腹が立つとともに、受験生君にも少々歯がゆい思いがします。

で、立ち上がって男性に向かって言いました。

「なあなあ、おっちゃん、勉強の邪魔したったらあかんって。この子にしたら一生の掛かった大事な勉強中やねんから。もう黙っといたりーな。」

何か想像していた以上にビクッとされたんですが、気にせず続けます。

「君も勉強したいんやろ?大事な勉強やろ?」
「はい……」
「な、この子もそう言うてるねんから、もうちょっかい掛けたったらあかんって。」
「わ、わかった。OK、OK牧場。」

なにがOK牧場やねん。面白ないんじゃと怒鳴りたい気持ちは、さすがに押さえつけました。と言って、ガッツ石松かよ!と突っ込む気にもなれませんでしたが……。

受験生君からすると、訳の分からないおっさんに絡まれたと思ったら、またその隣のおっさんが首を突っ込んできた訳ですから、災難ですよね(笑)。ただ、やっぱり、自分の身に降りかかったトラブルは自分で解決しないと。

私の方としては、上述の通り、言っておかないと後々「ちゃんと言っておいてやったらよかったかな……」なんて思っていたはずで、どちらかと言うと私の精神衛生的な問題だったんですけどね。


話が少し逸れてしまいましたが、あんまり「アンガーマネジメント」とかいう話を真に受けすぎないほうがいいんじゃないの、言いたいことをパパッと言い合う方がいいんじゃないの、という話ですね。要するに。

そのためにこそ、感情を抑え込みすぎずに上手くコミュニケートできる力や社会性を磨いていくべきだと思っています。子どもが国語力を培うことの利点は、そうした面にもあるんじゃないでしょうか。

と、一応塾関係の話に持ち込んでおきました(笑)。

感情の抑制が強く求められがちな日本社会、「アンガーマネジメント」を称揚しすぎないほうがいいと思うんだけどなあ。