仮想通貨と国家権力の関係 – 一素人の考え

最近の仮想通貨騒動を見ていて、ド素人として思うことをば。

私、法学部出身でして、学生だった頃に「刑法各論」を学びました。刑法典に規定されている犯罪を中心に、各種犯罪類型の成立要件などを学ぶわけなんですが、勉強をしながらよく思っていたのは、「どの犯罪が一番センスがいいのか」ということです。

もちろん、反社会的行為である犯罪に、センスが良いも悪いもへったくれもありません。殺人は人の命を奪うし、窃盗は人の財物を奪うし、放火は命・財産や社会の安全を奪うのであって、極悪な行為です。通常人から忌み嫌われ、国家権力からは禁圧されて当然の行為。

ただ、個人的には、「この犯罪を犯すのは、なかなかスマートな奴なのではないか」と思う犯罪があったんですよね。それは、通貨偽造罪。

もちろん、自分がやってみようと思うわけではないですよ。そして、ブログをお読みくださっているあなたもやってはいけませんよ(教唆罪に問われても困るので、一応言っておきました(笑))。

硬貨なんて偽造してもあまりうま味はないですよね。だから紙幣の偽造に絞って考えてみましょう。

まず、日本銀行券はこの上もなく精巧な作りになっていて、この紙片そっくりなものを作ろうとすれば、何十年もの工芸的修練が必要なのではないか。その修練の年月に耐えて一種のアルチザン(?)的領域にまで達するということは、(目的が邪悪でこそあれ)褒められてもよいことなのではないか。

次に、実際的に考えて、この犯罪の被害者はほとんど存在しないのではないか。完全な偽札ができたと仮定すると、誰もが気付かず真正の紙幣だとして使い・使われるので、全く問題が生じませんよね。ちなみに、偽造通貨行使罪は故意でないと成立しません(偽造紙幣だと知らずに使っても処罰されない)。

もちろん、厳密に考えると、偽札の額面分だけ真正な紙幣の価値を薄めていると言えるでしょうから、国民全体からごくごく僅かずつ金銭を「盗んだ」のと同じことなのかもしれませんが、単純に考えて1億2600万円分を偽造してやっと、国民一人あたり1円盗んだ計算になります。うん、それぐらいやったら、僕は別にあげてもいいよ(笑)。

その偽造した紙幣で、恵まれない人たちに莫大な額を寄付していた……なんて事件だったりしたら、ほとんどの国民は偽造者を「義賊」として褒め称えるんじゃないか、なんて想像をしてしまいます。

いや、もちろん私がやろうとしているわけじゃないんですよ。思考実験的な話をしているだけですので、勘違いしないでくださいね(笑)。


ただ、国家権力は通貨偽造罪をそんな風に甘くは見ません。どの国家も通貨偽造の罪には重罰を科すんですよね。

その理由としては、「通貨に対する社会的信用を侵害するから」もしくは「国家の通貨発行権(通貨高権)を侵害するから」ということが挙げられます。

つまり、「通貨は社会のみんなが信頼している大事なシステムなんだから要らんことをするな」とか「国が独占している通貨発行権を横取りするな」という風に、国家権力は「激おこぷんぷん丸」するわけですね(ちと古い表現ですが)。

その激おこぷんぷん度が、刑罰の峻烈さに現れているという次第。具体的には日本国では「無期又は3年以上の懲役」に処せられます。すごく重い罪ですね。


こんなふうに、国家権力は国民に厳罰を科してまで「独占的な通貨発行権」や「通貨に対する社会の信頼」を守りたいと考えるものです。上述のように、これは日本に限ったことではありません。世界各国共通です。

とすれば、今話題の「仮想通貨」への処し方も決まってくるのではないかというのが、私の考え。

今以上に大規模な通貨になろうとすれば、国家からの妨害を受けるはずで(国家はそうは言わずに「適正な管理」と表現するでしょうが)、もうその際は儲けを生む手段にはならないでしょう。

別の言い方をすれば、「仮想通貨」が安定した通貨になるには、国家権力の支配下に置かれて、現在の通貨システムに組み込まれるしかないのではないか。組み込まれない限りは安定せず、雲散霧消するようなことも頻発する。安定したらしたで、文字通り通貨として「安定」しているわけですから、大きな儲けを生む投資対象にはならない。「一万円札に投資する!」とか「千円札に投資する!」とか誰も言いませんよね。

まあ要するに、ギャンブルとして楽しむならいざ知らず、ややこしい通貨に投資するのはやめといたほうがいいんじゃないですか、という話です。

私の場合「投資嫌い」ですので、ちょっと偏った意見になっているかもしれませんけどね。マスコミなんかが「儲かるぞ儲かるぞ」と言い始めたら、(下品な言い方ですが)カモをはめ込む段階に至っていると考えていいと思います。ご用心を。