文章の骨組み・文章の骨格

9月に入ってもなかなか暇が出来ません。ふぅ。仕事は楽しくやらせてもらっているので、暇が欲しいというのはちょっと贅沢なのかもしれませんが……。

今日は当塾(宮田国語塾)の授業の話。

私が授業をする際は、出題文章を本質的に理解してもらうという趣旨から、できる限り「文章の骨組み(骨格)」をはっきりと提示するようにしています。論理的な文章なら当然のことですが、随筆や小説もできる限りそうするように努めています。

文章の重要部分に線を引いてもらったり、黒板に図示してみたり、色々な方法でアプローチしていますが、このあたりは教える側の個性が出る部分だろうと思います。

ある人は上記のような部分を「要旨」「要約」と呼び、またある人は「重要部分」と呼ぶと思うんですが(私もそう呼ぶことがあります)、私が一番気に入っている呼び方は、やっぱり「骨組み」や「骨格」という言葉です。

文章というものは、「要旨」「要約」「重要部分」だけを読んで分かるものではありません。十全な理解のためには、すべての部分を精密に読みこまねばなりません。というか、要旨だけを読んだって、面白くも何ともありません。

実際、世界の名作のあらすじだけを集めた安直な本がありますが、読み通すのはとても苦しい気がします(勉強なら仕方の無いことかもしれないけれど)。

要約を抽出する際に捨象された(棄てられた)部分、そこにこそ「旨味」があるかもしれません。

私が「文章の骨組み」「作品の骨格」という言葉を好んで使うのは、そこに理由があります。「骨組み」を抽出するために棄てた部分は「肉」であり「内臓」である。決して無駄な部分ではなく、むしろそこにこそ「旨味」が潜んでいる……。「骨組み」や「骨格」という言葉は、そうした事柄のメタファー(隠喩)になりうると思うんですよね。

ま、ちょっと考えすぎかもしれませんが。

ともあれ、要約部分だけ読んで事足れりとするような姿勢は、普段の読書姿勢としてはもちろん、入試対策としても下策だと思っています。


なお、要約も次のような状態にまで至ると、ある種の「芸」の域に達していると思います。私は「かさじぞう」と「金太郎」の要約が好みです(笑)。

15秒でわかる日本昔話