最近読んだ・読み始めた書籍の中で、とても面白いと思ったものをご紹介。
もうこれは何と言ったらいいのか、とにかく楽しい物語でした。老若男女にオススメです。物語世界にどっぷりと浸り、終わるのが寂しくて寂しくて仕方がない気持ちになる小説。またちゃんとした記事にする予定なんですが、町で薄汚れた犬を見ると「マクダフ!」と心の中で呼び、郊外で空を舞う鷹を見ると「キッド!」と叫んでしまう、そんな小説です(読めば分かります)。
大家の筆による僧契沖伝。契沖先生は『万葉代匠記』で有名な国学者(の草分け)ですが、実は当塾のすぐ近所にお住まいだった方です。老いを養われた「円珠庵」は当塾から700m。元禄時代の学者ですから、時は遠く離れていますが。
この上なく尊敬しているので、契沖と呼び捨てにする気にはなれません。「契沖先生」と(勝手に)お慕い申している次第。もし今ご存命なら、間違い無く弟子入りを志願していると思います。なかなか首を縦に振って下さりそうにはないんですが、そこをなんとか。月に一度でも半年に一度でもいいので、万葉集を講じて下さい、束脩ならいくらでも惜しくはございません、お願い致します!と、上記の本を読みながらずっと思っていました。契沖先生の話もまたそのうちに。
今ちょうど読んでいる最中。最初からグイグイ引き込まれます。ノン・フィクションですが、どんな物語よりも魅力的。
今はイスラエルの公用語となっている「ヘブライ語」。しかし、以前は儀式や祈禱に使われるだけの眠れる言語でした。そのヘブライ語を2000年の時を経て再生し、日常語として復活させた男がいます。その名は、エリエゼル・ベン・イェフダー。「言葉」への恐ろしいまでの執念と苦難の道のりは、ある意味、美しさに満ちています。個人的には、畏れと敬意を抱きながら読み進めています。
こちらの本もまた別の記事にするつもりなんですが、ベン・イェフダー、とにかく風貌がいい。私は彼に、上記の契沖先生と同じ匂いを感じます。我が師として仰ぎたい人物、教えを乞いたい人物。お二人とも、何か私の胸に迫ってくるものを持っています。
これは切ない物語でした。こちらもノン・フィクションですが、どんな物語よりも哀切極まりない話。幼い頃からプロの道を歩み、将来を嘱望された天才バイオリニスト渡辺茂夫が、16歳で自らの命を絶つ(そしてそれは失敗に終わり以降白昼夢を生きる人となってしまう)までのストーリーです。
有り余るほどの才能は誰にもひけを取りませんし、留学先の米国の人々も冷淡なわけではないし……。どうして、どうして……。
個人的な考えですが、幼い頃に親元を離れて留学することは、極めて危険性の高い行為だと思うんですよね。自我が形成される前に、他国の文化に根っこまで洗われることは、決していいことだとは思えません。アイデンティティ・クライシスという語が存在しますが、幼い子供には乗り越えがたいハードルではないか。
天才として世界に羽ばたく人は、そうした環境に置かれることもままあると思うんですが、恐ろしい陥穽に落ち込むことなく大成するというのは、実は僥倖なのではないか。そんな思いに駆られました。