政治家をしている割には、ボキャブラリーの怪しい人が増えてきたように思うんですが、その最右翼が小泉進次郎。例のごとく、政治的な問題には立ち入らないのがこのブログのルールですが、政治とは無縁なレベルで、彼のチャラい人となりが人々に知れ渡ってきたようで何よりだなと思います。
やっぱり政治家には行動もさることながら、言葉も大事だと思うんですよ。ボキャブラリーの貧困な政治家は、社会の見方も平面的だろうと思います。
ま、いいところのお坊ちゃんに生まれて、勉強も熱心にして来なかったけれど、世襲で政治の世界にやってきて、女性と遊び回っているなんて御仁に、私心を捨てて勉強し、社会に奉仕するなんてことを求めるのは、あまりにも幼稚な考えでしょうけどね。
ちょっと嫌味が過ぎるかもしれませんね。言葉の問題に。
彼の先日(2020.02.20)の衆院予算委員会での答弁。新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を欠席し、地元後援会の新年会に出席していたことへの弁明です。
「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思うが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしている」
(中略)
この問題をめぐる4往復のやり取りで、「反省」という言葉は20回も駆使した。
普通の文章もそうですが、国語の答案でも、同じ表現を繰り返すのは好ましいことではありません。文章が平板に見える上に、本当に大事な事柄(上記で言えば「反省している」ということ)が逆に薄まって見えてしまいます。加えて、(本当は賢い人であっても)筆者・話者の知性が貧困であるように見えてしまいます。要するにアホっぽく、幼稚に見えてしまう。
どうしても何度か「反省」していることを伝えたいなら、こんな感じはどうでしょうか。
「自省の念が見えないとおっしゃるのであれば、それは私の至らぬ点だと反省するばかりでございます。」
「反省」の語を減らした上で、類義語「自省」を持ってきて、不要なところをバッサリと。ウチは塾ですから、非難するだけじゃなくて対案(指導案)も出しますよ、ええ。
で、なんでこんな下らない答弁に付き合っているかというと、「語彙」は答案表現の上で、大変に重要な力なんだという事をご理解いただきたいからでして。
例えば、こんなケースを考えてみて下さい。実際の難関中の問題をアレンジしています。
人種差別が合法であった時代のアメリカ合衆国。バス内は白人席と黒人席がはっきりと分けられていた。ある白人女性、あえて黒人席に座る。白人も黒人も皆が驚きの目で白人女性を見つめる。バスの運転手がやってきて「あなたはこの席には座れません。白人席に移動して下さい」という。彼女の返事は「NO」。「困ります、移動してください。」「NO!」押し問答の末、運転手は諦めて運転席へと戻っていった。
問題:ここでの白人女性の気持ちを説明しなさい。
一定以上のレベルの受験生であれば、白人女性の言動から「人種差別否定」という気持ちを読み取ることはそう難しくないと思うんですよね。
しかし、その読取りを答案化(言語化)させると、かなりの差が生まれます。
人種差別は嫌だなと思おうと思って頑張ろうかなという気持ち。
言いたい事はわかりますね。ただ、全体的に幼稚な表現だという事もお分かりいただけるでしょう。「嫌だ」という主観的な判断は直感的なものですから、「思おう」という意志的な表現には合いにくいですし、「思おう」「思って」とくどい表現になっています。
人種差別を拒絶する気持ち。
かなり締まった解答になった事がお分かりいただけるかと存じます。「拒絶」という一語を使うだけで、はっきりと人種差別を否定する気持ち・意志を表す事ができていますね。解答字数が余れば、少し修飾を付けて、「不合理な人種差別を拒絶する気持ち。」としてもいいでしょう。的確な語を使う事は、本来書くべき内容を制限字数内でこぼさない事にもつながります。これ、試験政策的にはとても大事なことです。
人種差別を峻拒する気持ち。
ここまでの語彙が中学受験で必要だとは思いませんが、もし的確に使えたならば、採点者の心証はとてもいいでしょうね。この受験生、知的な言葉知ってるじゃんか、高い国語力が推知されるぞ、合格!それは言いすぎでしょうが、語彙が豊富で困る事は何もありません。百利あって一害なし。念のために申し上げておきますが、「峻拒」(しゅんきょ)とは、きっぱりとこばむことです。
ということで、受験生の諸君には、語彙を増やすように意識していただきたいと思います。表現力増強だけではなく、読解力向上にも大いに効果あることは、言うまでもないでしょう。
そうそう、真剣に国民のために働きたいと政治家を志す人も、是非ボキャブラリーを増やして欲しいと願っています。