ある文章の添削例

私は人の文章を読むのが好きなので、いや、より正確には活字中毒なので、文章が目の前に置かれると、どんなものであれ目を通したくなってしまいます。上手い文章ならば、味わったり勉強したりすればよし。不味い文章であれば、その不味さはどこにあるのか、どうすれば直せるのだろうかということを考える楽しみがあります。

また、この妙な文章はどのような文化的背景から生まれたのだろうか、筆者はどのような環境で生育してきた人であろうか、などとプロファイリングするのもなかなか楽しい。ちょっと職業病かもしれません(笑)。

私自身、このブログでは適当な文章を書き散らかしているので、偉そうなことは言えないんですが、ちょっと面白い文章を見かけたので、添削の実際を示してみたいと思います。

新潮社の雑誌『考える人』の編集部が出しているメールマガジン最新号(『考える人』HTMLメールマガジン532号)で発見した文章です。今号では、エッセイスト山口文憲氏の著書、『若干ちょっと、気になるニホン語』が取り上げられているんですが、私はこの本を持っておらず、読んだこともありません。孫引きで申し訳ないんですが、メールマガジンから文例だけを引用したいと思います。捨て犬・野良犬の里親探しをする社会活動団体のサイトにあったという文例です。

〈とある建設の会社の人が子犬のときに首輪を付けたまま野良犬にしてしまい首輪がくいこんで悲惨な状態になっている野良犬を保護の為に通い続けていると野良犬が多く懐いている子は保護して里親探しをしていく方針でマコもその中の1匹でした〉
(上記『考える人』HTMLメールマガジン532号より引用)

どうでしょうか。何となく意味は分かりますが、文章としてはちょっと、いや、正直に申し上げれば、かなり不味い。建設会社の人は以前は犬だったのか!?と思いますよね(笑)。

余談になりますが、小論文の指導をしていると、こんな文章はごまんとお目に掛かります。私の経験では、あまり国語が得意でない私大医学部志望の生徒なんかに多いパターンです(ちょっと偏見?ゴメン)。でも、きちんと勉強すれば、必ず分かりやすい文章は書けるようになります。

さて、原文を出来るだけ活かして添削してみましょう。赤字が私の書き加えた・書き換えた部分です。

<第1案>
とある建設の会社の人が、ある犬がまだ子犬のときに首輪を付けた。その犬はそのまま成長し、野良犬になったため、首輪がくいこんで悲惨な状態になっていた。私は、野良犬保護の為に通い続けていたがそうした野良犬が多く、懐いている子は保護して里親探しをしていく方針で臨んだ。マコもその中の1匹でした。

まず最初に直したいところは、一文が長すぎるところです。文章が長くて良いことはほとんどありません。読者は分かりにくく感じますし、主語述語の不一致といった文法的な不備も生じやすくなってしまいます。

(これは試験の答案ではありませんが)試験の答案という観点からすると、短い文章を連ねていく方がいいですね。採点者は何百通という答案を採点していますから、できるだけ負担を軽くして好感度アップを狙いましょう。セコい?いえいえ、それが試験対策というものです。

次に、主語(動作主)が替わるときはしっかりと新しい主語(動作主)を示しましょう。

 建設会社の人が→首輪を付けた

 {ある犬が}→子犬だった

上記のように主語が替わっているのに、主語を抜くというずぼらをしてはいけません。{ある犬が}という部分を書かなかったため、誰もが「建設会社の人は以前は犬だったのか?そこから出世して人間になったのか?」と思ってしまうわけです。文章は、「自分が分かっているんだから、相手も分かっているはず」という風に思わず、「他人は説明しない限り、何も分かってくれない」という思いで書くべきでしょう。

特にこの文章では、主語がコロコロ替わります。建設会社の人→(ある犬)→首輪→(私)→野良犬→懐いている子→(私)→マコ、という風に。主語が替わること自体はやむを得ないんですが、原則として主語が替わった際は明示したほうがいいですね。

そうした観点から添削したのが上記の文章です。

次はもう少し滑らかな文章にしてみましょう。

<第2案>
とある建設会社の人が、ある子犬に首輪を付けた。子犬はそのまま成長し、野良犬になったため、首輪がくいこんで悲惨な状態になっていた。私は、野良犬保護の為に(○○に)通い続けていたが、同じような野良犬が多くいた。懐いてきた犬は保護して里親を探す方針で臨んだ。マコもその中の1匹であった。

「建設の会社の人」→「の」が多いので一つ削りましょう。

一文目はかなりダイエットして主語を一つにできます。

逆に「通い続けていた」というのは、「場所」が前提となる表現ですから、場所を表す語の補充が必要でしょう。情報がないので、ここでは(○○に)と入れておきました。

文章に指示語は多用しない方がいいですね。入試で指示語問題がよく出題されることからも分かるように、指示語の中身を確定するのはそれなりに骨の折れる作業です。読み手にいらざる負担はかけない方がいい。ということで、「その犬」「そうした野良犬」は削除したり、別の表現にしました。

「懐いている子」→犬を「子」と表現するのは、(心情的には分かりますが)避けるべきでしょう。犬に過度に肩入れした主観的表現だと思われる可能性があるからです。同じ事なら文章に客観性を持たせた方がいいでしょう。

また、細かいですが、「懐いている犬」より「懐いてきた犬」と表現する方が、「私が某所に通って努力している内に、だんだんと心を開いてきた犬」というイメージが出て良いと思います。前者だと、「懐くか懐かないかは元から規定されている」という平板なイメージになってしまいます。

常体で綴られてきた文章の最後がなぜかいきなり「でした」と、丁寧表現で結ばれていますが、唐突な感じは否めません。原則通り、常体ならば常体で統一しましょう。常体と敬体を混ぜるのは、かなりの高等テクニックですから、あまり使わない方がいいですね(特に答案では御法度です)。

ふぅ、添削もなかなか大変です(笑)。

文章は自分で客観視するのが難しいものですから、誰かに見てもらう(or聞いてもらう)といいでしょう。見る・聞く人は、別にプロでなくとも構いません。家の人に聞いてもらうのもいいと思いますね。語彙は別として、小学高学年ぐらいの子が聞いて分かるような文章を目指すと平易な文章になるでしょう。