中学受験生と大学受験生に対する指導の差異

当塾、指導してきた生徒さんの年齢層は、かなり幅広い方だと思います。もちろん、小学生から高校生あたりがメインなんですが、この十年間でお預かりした生徒さんには、幼稚園年長児もいれば社会人もいるという、ちょっとアナーキーな状態であります(笑)。

難関大学受験生や、再受験しようとする社会人の方が、指導は難しいんじゃないかと思われるんですが、必ずしもそうとは言えません。確かにそうした生徒の場合、問題や教材の内容自体が高度ですから、授業準備は大変なんですが、「当方が教えたい内容を伝える」という段階では、それほど困難を生じません。生徒側に読解力や理解力が十全に備わっているからです。平たく言えば、自分の頭の中で理解している内容を、そのまま喋ってもあまり問題がないわけです。

例えば、勉強をいやいやさせられている主人公が出てくる小説問題の解説。大学受験生だと、「主人公の言動から、その行為が主体的営為ではなく受動的単純作業に堕しているということが読み取れますね」とアッサリ説明すればOKです。

ところが、小学生になると、事はそう簡単には行きません。授業準備自体もそれなりに大変ではありますが、一番大変なのは、「当方が教えたい内容を伝える」という、コミュニケーションの段階です。頭の中でできた表現や文章をそのまま話すことは出来ません。小学生の理解力や語彙量を考えた上で、言葉を選び選び話す必要があります。

先程の例ですと、こんな感じです。

「主人公の○○っていてるよね。この主人公の言動をチェックしていってみようか。例えば、○○行目で主人公が机の前で大きくため息をついているよね。○○君はどんなときにため息をつく?」

「んーっと、しんどい時とか、いやな時?」

「うん、そうだね。とすれば、この主人公は勉強する事について、どんな気持ちを持っていると言える?」

「しんどかったり、いやだったり……。」

「その通り。勉強が嫌であまり楽しくないことが読み取れるね。○○君はいやな事って、自分からする気になる?」

「あんまり……。」

「うん、人間誰でもそうだね。でも逆に、自分の好きなことだったら、または、本当に目標に近づくためだったら、頑張れるよね?そういう風に自分の意志で行動する様子を、ちょっと難しい言葉で『主体的』と言います(黒板に板書する)。『主』というのは、『自分からはたらきかける』という意味の漢字ということも知っておくといいね(また板書する)。じゃ、『君には主体性が欠けている』って言われたら、どんなことを言われていると思う?」

「えーっと、自分の意志でやってない、という意味かなぁ。」

「そうそう、それでいいよ。で、もう少し難しい言葉の説明をしておきたいんだけど、『受動』という言葉の意味は分かるかな?ちょっと前に、『れる・られる』の説明をしたときに出てきた言葉なんだけど。例えば『笑われる』とか『なぐられる』とか……。」

「あ!人から何かされるってことだ!」

「うん、いいね。漢字を見ても『動きを受ける』という風になってる訳だしね。この『受動』という言葉は『受動的』という風によく使います(板書する)。『人から何かされる』ということは、さっきの『主体的=自分の意志で行動する』こととは、あまり合わない気がするよね。」

「というか、逆っぽい気がするけど……。」

「完全に逆とまでは言えないかもしれないけれど、ペアで使うと分かりやすくなる言葉だね。で、結局のところ、『主人公の言動からすると、主人公は主体的に勉強しているのではなく、受動的に作業をこなしているだけ』ということになるね。」

ふ~っ。書いていて疲れてきました(笑)。

くどい説明なんですが、小学生の場合、生徒一人一人の理解力や語彙力を考えた上で、最適な説明をすることが大切。授業中は、分かっているか否か、生徒の様子を見ながら、臨機応変に説明を考えることに最大限の労力を割くことになります。難関大を志望する高校生・浪人生を指導する場合との最も大きな差異はここにあります。


お釈迦さまは、教えを説くとき、相手の能力に応じて言葉や手段を選んだそうなんですが(これを表す「対機説法」という四字熟語があります)、やっぱり宗教的な天才は説法も一味違うなと思います。

お釈迦様には程遠い、煩悩にまみれまくった私ですが、この点だけは真似たいと思っています。