寺子屋あれこれ

前回、「寺子屋」に触れたので、ちょっと寺子屋の雑学をば。

現在、私は塾を営んでいるわけですが、時代が時代なら「寺子屋のお師匠さん」というところでしょうか。なかなかいい響きですね(笑)。

それはさておき、「寺子屋」という名称は、原則として上方における呼び名です。江戸の方では「手習(てならい)」と呼ばれていました。武士の多い関東では、「屋」という部分が商売人っぽく聞こえ、「寺子屋」なる名称を使うのが嫌がられたようです。

そんなに格好つけなくたって、「八百屋」「魚屋」のように「塾屋」でいいような気がしているんですが、これは私が生粋の上方人だからかもしれません。

さて、Wikipediaを見てみると、幕末には全国で16560軒の寺子屋があり、寺子屋教師を養成する学校まであったとか。日本人って本当に習い事好き・塾好きなんだなと思います。近江国のある寺子屋の入門生名簿を調べてみると、その村では村民の91%が寺子屋に入門したと推定されるとのこと。ほとんど村民皆塾制度ですね。

こういうシステムが、我が国に世界最高水準の識字率をもたらしていたわけで、寺子屋システムというのは、なかなか素晴らしいものだったのだと思います。

そうそう、以前古い文楽の本を読んでいたとき、豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)という有名な大夫の直筆プロフィールを見たことがあります。なんと、最終学歴の欄には黒々とした墨で「寺子屋」と書いてありました。山城少掾の音源はかなりの数残っていますから(私もCDを持っています)、録音機器のある時代になっても寺子屋出身の人っていたんだな、と驚いた覚えがあります。なんだか寺子屋が近く思える出来事でありました。