先程読んだニュース記事。
asahi.com(朝日新聞社):西日本へ「疎開」を 〈伝えたい―阪神から〉 – 社会
内田樹氏は、権威に頼らぬ骨太な議論のできる論客の一人だと思います(今までも何度かこのブログでも取り上げたことがあります)。
正直に言いますが、学者さんの中には、いわゆる「御用学者」という人達がいらっしゃいます。政府に都合の良いときに、政府に都合の良い説を、まことしやかに流してくれる人達です。
学問の本質が、権力におもねることではなく、真理を追究することにある以上、彼らを「学者」と呼ぶこと自体、間違いなのかもしれません。
私は原子力関係に疎いので、誰が御用学者であって、誰が御用学者でないのかは分かりません。しかし、今までの経験上、こうした電力計画や原発といった国家的プロジェクトには、まず間違いなくそうした御用学者が関係していることが多い。
以前実際に日本であった話ですが、とある僻地にトンネルが建設されました。岩石崩落が懸念されていたものの、学者達が予測した崩落の数倍の強度があるトンネルゆえ、絶対に安全だということで強行されたトンネル建設です。そして数年後。案の定、岩石が大規模に崩落し、トンネルは崩壊しました。生き埋めになって亡くなった方も発生。
その時の岩石崩落の規模は、学者の予想していた規模の100倍以上あったと言います。数倍ならともかく、100倍オーバーですからね。無理やり塾になぞらえて言えば、「100点満点間違いなし」と予想していたところ、実際には「1点も取れなかった」という感じでしょうか。
当初の学者の予想は、予想というよりも単なる期待、まずトンネル建設ありきではじき出された数字ということを物語っていると思います。
そうしたことを念頭に置いて、内田氏の見解を引用してみましょう。
今回の東日本の地震で対応が難しいのは、まだ災害が終わっていないことだ。福島の原発が危機的な状態にある。気になるのは政府・東電の情報が遅く、被害を過小評価する解説が続いていることだ。首都圏から避難が必要ないと言い切る専門家もいる。だが、この後、大量の放射性物質が飛んできた場合、この人はどう責任をとるのだろう。
危機的状況では、リスクを過小評価するよりは過大評価する方が生き延びる確率は高い。避難が無駄になっても責める人はいない。「何事もなくてよかったね」と喜べばいい。「安全だ」と信じ込まされて、いきなり「さあ逃げろ」と言われたらパニックになる。メディアの報道では「避難できる人は避難した方がいい」という専門家の発言が抑圧されているように感じる。
私も、こと生命に関する場合、リスクは過大評価した方が良いと思います。そして後日、「予測がはずれたなぁ、エヘヘ」と笑いたい。
レベルは全く異なりますが、今になって考えてみると、以前の新型インフルエンザ騒動は、私どもにとって危機的状況に対する一種のトレーニングになっていました。今後も、塾としてできる限りのことを考え、ご利用下さっている皆様に安全に授業を提供できるよう、備えを怠らないようにしたいと思います。