S先輩の思い出

最近、ヘリコプターや飛行機の事故をよく耳にします。先日もネパールのカトマンズで小型旅客機が墜落し、19歳の日本人男性が亡くなったとのこと。まだまだこれからの人生だったでしょうに。家族の方々の気持ちを思うとやりきれません。

今日は大学時代のクラブの先輩の思い出話です。

S先輩は、私が大学1回生になった頃、既に大学院を卒業し就職していらっしゃいました。(母校では珍しいことですが)京都で就職していらっしゃったため、しばしばクラブのトレーニングに顔を出して下さっていました。「いや~、就職すると体がなまるんだわ」などとおっしゃりながら。

あまり走力が必要な競技でもないんですが、部の方針で、鴨川沿いをランニングする日があります。私は高校の頃は陸上部所属。いくらヘボ走者だったとはいえ、手を抜くと即座にバレる(笑)。ちょっとしんどい練習の日なのでした。

ランニング日は大抵、仕事上がりのS先輩が参加して下さっていた覚えがあります。私が陸上部出身だということをご存知のS先輩、「宮田、いっしょに走ろうぜ」とおっしゃるんですが、ちょっと緊張します。手も抜けないし(抜くなよ)。

11月祭(大学の学園祭)でも、クラブから駅伝大会に参加したんですが、S先輩も走られた覚えがあります。社会人なのにいいんですか?「ええねん、ええねん」という感じで(笑)。そのせいか、戦績は結構良かったですね。

それから数年。私は既にクラブを去っていましたし、S先輩もお忙しかったのでしょう。お会いする機会はほとんど無くなっていました。


そんなある日、テレビで夜のニュースを流していると、ネパールで飛行機が墜落したとのこと。日本人被害者が数名いる模様、との声で、何気なくモニタに目をやると、S先輩の写真とお名前が!

飛行機事故と、温厚なS先輩の写真の関係がつかめない……。
遠い世界の出来事と、S先輩のことがつながらない……。

つかみたくない、つなげたくない……。
つかむべきじゃない、つなげるべきじゃない……。

しかし、どの局を見ても、告げられる冷酷な事実に変わりはありませんでした。


S先輩はおっしゃっていました。

「宮田、若いうちに外国を見ておくのはいいぞ。時間がある内に、絶対に海外に出かけた方がいいぞ。」

実際、私も一人で海外にある程度の期間滞在したことがありますが、S先輩の影響があったのかもしれません。

非常に温厚な方で、クラブの後輩からも慕われていたS先輩。そんな方が何故にこんな事件に遭うのか。未だもって強い不合理を感じます。

後ほど新聞報道で知ったことですが、S先輩はご両親のことをお考えになって、地元での就職を選んでいらっしゃったらしい。孝行な息子を失ったご両親の気持ちを思うと、身が切られるような思いがします。

いつの間にかS先輩の年齢を超え、子を持つ身となった私ですが、S先輩のことを考えれば、私など本当に馬齢を重ねているとしか言いようがありません。

S先輩のことは何時までも忘れられないだろうと思います。