あっという間の一週間。今週も仕事に追い回されておりました。
例年11月以降は、実際に受験する学校の過去入試問題を利用して、中学入試対策を実施しているんですが、これがなかなか大変。各クラス個別の問題を使うことになるので、準備に追われまくります。
たまには、そんな準備作業の中でちょっと気になった中学入試問題をご紹介してみようかと思います。ちなみに、「中学入試国語の現状」を軽くお伝えするのがこの記事の趣旨ですので、解法習得とか得点アップを期待して読まれても、何の益もないことを予め申し上げておきます(それは授業でさんざんやっています)。
まずは清風南海中学の数年前の問題。安田登氏の『日本人の身体』からの出題です。出題文のテーマは、「日本人の身体感覚の変遷」。現代人の身体に対する志向は身体の細分化・身体の対象化を特徴とすること、したがって現代社会では自己と他者との境界が必要以上に明確化されてしまっていることが述べられています。
大学入試なら、よくあるテーマですよねと片付けられるかもしれませんが、相手は小学生。説明するのはなかなか骨の折れる仕事です。といって、問題だけを見てテクニックで適当に点を稼げるなんてものでもありません。しっかり問題文を読解・理解しないと正解に至れないようになっています。
最後の問題は、記号問題ではありますが、文章要旨を問うなかなか厄介なものです。ご紹介してみましょう。これに挑むのは小学6年生だということを念頭に置いて読んでみて下さいね。
この文章の展開に関する説明として、最も適当なものを次の中から選びなさい。
ア 身体の「膝」や「肩」に注目することで、部分の集合体である身体とは異なる「み(身)」の重要性を明らかにして、自他の間に壁を設けることの危うさを指摘している。
イ 身体に関する言葉を取り上げながら、日本人の身体観の変遷を段階的に解き明かし、自我を優先する近代の身体感覚を批判して、他者を思いやることの重要性を指摘している。
ウ 医者という職業から見た時の身体観と、古典芸能に関わる能楽師としての身体観を比較して、近代的な身体感覚と日本の伝統的な身体感覚を対比して違いを指摘している。
エ 明治以来の自我の確立の問題点を批判するため、日本の伝統的な身体感覚の優位性を具体的に論じ、知識だけに頼らない日本独自の身体感覚の素晴らしさを指摘している。
オ 日本人が昔から行っていたおおざっぱな身体認識を提示して、からだの語源を紹介しながら身体感覚へと話をひろげ、他者との境界が明瞭になったことの弊害を指摘している。
いかがでしょうか?大学入試旧センター試験や共通テストと比べてもさほど差はない、というか、ほぼ同レベルの選択肢が並んでいるのがお分かりいただけるかと思います。まるでパンフレットのようなペラペラの小学校の教科書とは何光年かの隔たりがありますよね。小手先のテクニックなんて通じるはずがありません。地道に読解するしかない。
こうした問題を日夜勉強する小学6年生ってなかなか凄いんですよということを、ご理解いただくのが本記事の趣旨ですが、ついでにもう一つ小説問題をば。
最近生徒さんから参考資料をいただいた、これまた清風南海中学のプレテスト問題(2022年度版)です。プレテストとは各中学校が受験生を対象に実施する模擬試験。つまり入試問題に準ずる学校の公的な「意思表示」です。
小説問題を5行ほど読んで気づきました。この空気感、ひょっとして宮城谷昌光?出典を見るとビンゴ。宮城谷昌光の『晏子』です。
この頃お風呂で歴史小説や時代小説をよく読んでいますが、最近も2冊連続で宮城谷昌光を読んでいたので、文章のまとう空気感が慕わしい。ただ、小学6年生に宮城谷昌光が「分かる」のかというと、かなり疑問は感じます。
出題文が古代中国の春秋時代を舞台としている点はいいんです。登場人物が丁々発止の議論をするところも入試問題としていいと思います。ただ、宮城谷昌光の文章は贅肉を削ぎ落とした「大人」の文章です。これをしっかり読み解ける小学生はそうそういないのではないかという気がします。
人は感情を持つ。人である以上当然である。それを記し残そうとする者がいることもまた理として当然であろう。問題はそれを記すすべである。ある者は人に向けて書くであろう。ある者は天に向けて哭するであろう。物語とは天に向けて哭歎することをいう。古来、人はそのようにして物語を編み、今も編み続けている。
って、宮城谷昌光の文体をコピーしてみましたが、いかがでしょうか。それっぽいでしょう?文体憑依芸、好きなんですよね。分かる人だけ分かって下さい。
おそらく氏は漢籍・漢文の素養からシンプルな文体に行き着かれていると思うんですが、こうした「枯れた」文体は、小学生にはかなり手強いものだと思います。枯れた文章から人間のウエットな感情を読み取るのは、「頭の良さ」というよりも、「人生経験」によるところが大きいですからね。解説・指導する側としてもなかなか頭が痛いところ(笑)。
最近の中学入試国語問題は、精神年齢の高さを要求するものが本当に多くなってきた気がします。結論めいたことを言うとすれば、中学入試国語の問題は、小学6年生が子供であることを認めない、小学6年生は大人の原型としての精神を持たねばならない、といったところでしょうか。なかなか大変ですけどね。