死と病とを思う

先程のニュースで知ったんですが、『「がんになって良かった」と言いたい』の著者、山口雄也さんが過日亡くなったとの由。著者は京大大学院工学研究科修士課程に在学中の若き俊英ですが、京大1回生の頃に胚細胞腫瘍を、3回生時に急性リンパ性白血病を宣告されていたらしい。

宣告された時の彼の気持ちを思うと、胸つまる思いがします。そして、子を持つ親としては、どうしても御両親のお気持ちを考えてしまう。若い人が病気で命を奪われる事は、本人にとって最大の不幸であるとともに、御両親にとっても人生最大の苦痛であるでしょう。

この『「がんになって良かった」と言いたい』を私はまだ読んでいませんが、「と言いたい」という表現に、著者の万感の思いが込められていることが分かります。悔しさ、恐怖、切なさ、チャレンジ精神。このうえなく誠実な表現です。この5文字だけで、彼には嘘偽りを嫌う清廉さがあったことが読み取れる。ご冥福をお祈りいたします。

山口雄也・木内岳志 /「がんになって良かった」と言いたい

最近、なぜか「死」や「病」に関する本をよく読んでいます。自分が今現在「死」や「病」に直面しているわけではありません。ただ、「死」や「病」の場にある人の心の奥底を知りたい、そしていつか自分がその場に立った時、安らかにそれらを受容したいと心の底で願っているのかもしれません。

とりわけ印象に残った書籍は以下の2冊。

石井光太 / こどもホスピスの奇跡: 短い人生の「最期」をつくる

大阪鶴見緑地にできた、難病を患う子ども達のホスピス(TSURUMIこどもホスピス)の話なんですが、私には衝撃的といっていいほど感情を揺さぶられる本でした。辛い話も多く、ブログに書こうかどうか迷っていたほどです。

志の高い医療関係者・教育関係者・保護者たち、そして誰よりも難病に立ち向かうこどもたちの姿に、涙を抑えることができず、何度も何度も本を閉じては再び開き。感情を強く揺さぶられながら読みました。

難病を抱える子どもたちにとって、学校や勉強はとても大切なものだという話が書かれています。それは、私たちがよく聞く「将来につながるから」といった生易しい理由からではありません。何時終わるともしれぬ辛い治療・入院生活や、先の見通せない人生を、すこしでも「普通の日々」へと近づけることができるから、というのが理由なんです。

とりわけ、大学入試に命を燃やし続けたK君には脱帽としか言いようがありません。多くは書きませんが、「勉強がしんどい」なんて甘えたことを言う人間は、彼の短い一生を一度この本でたどってみて欲しいと思います。私も含めて、すべての大人が彼の爪の垢でも煎じて飲むべきだと思うほどです。彼の高潔な魂は語り継がれるべき魂。

シッダールタ・ムカジー / がん‐4000年の歴史 上・下

たった今読んでいるところなんですが、もうすさまじく面白い。上下で1000ページほどあるので、ちょっと時間がかかっていますが、残りあと100ページほど。また読み終わったらブログ記事を書く予定です。

死に至る病の中でもとりわけ難しい病気「がん」。この病の帝王に人間はどのように立ち向かってきたのか。なかなか俯瞰することが難しいであろうこのトピックを、超一流の研究者が見事に整理してくれています。しかも情熱的に。

がんの治療は、研究者や医師の熱意だけでなく、数知れぬがん患者の治験協力や死によって発展してきたということを教えられます。もし自分ががんに冒されるようなことがあれば、この4000年にわたる医学の歴史を尊重したいと思うようになりました。

「死を思う」それは一定以上の年齢の人間にとって、義務であるような気すらしています。