先輩の死と後輩の死と

お盆休暇 but 雨続きということで、この休暇中は結構勉強が進みました。勉強をしたいことは山ほどあれど、普段の生活の中で割ける時間は少ないですからね。やっぱり自分は勉強が好きなんだとしみじみ思います。

別に自慢しているわけではないんです。好きなことに関する勉強って、すればするほど精神が自由になっていく感覚が私にはありまして、それは丁度バイクに乗っているのとか、好きな人たちとのんびり過ごしているのに近い感覚なんですよね。

誤解を招くといけませんので書いておきますが、仕事が嫌いだというのでもありません。ただ、仕事の対象は徹頭徹尾「他者」であり、上記のような行為はあくまでも「自己」のための行為。そこが違う。

(いつになるかはわかりませんが)仕事を辞めたら、多分勉強を中心にした生活になるだろうと思います。何の役にも立たない学問をひたすらやってみたいと、結構真剣に願っています。普段の生活では、生徒さんにひたすら「役に立つ」ことだけを伝え続けていることの反動なのかもしれませんけれど(笑)。

昨日(2021.08.15)は「敗戦記念日」。マスコミは「終戦記念日」と呼びますが、あまり感心しません。かつて日本が戦争に大敗して、国民は多大な犠牲を払ったということを記憶し続けるべきだと思うからです。「終戦」はキレイ過ぎるんじゃないか。

昨年のお盆頃に入手した本があります。『戦没学徒 林尹夫(はやしただお)日記(完全版) わがいのち月明に燃ゆ』という書です。

ご存知の方には有名な本ですが、戦没学徒の残した記録の白眉とされるこの書、長らく絶版となっていまして、昨年ようやく復刊されました。以前から読みたいと願っていたこの書、復刊直後に入手し、すぐに冒頭部分は読んだんですが、ページを繰る手はほどなく止まりました。

林尹夫氏は三高→京都帝大と進み、そこから学徒出陣で海軍に所属された方です。「わがいのち月明に燃ゆ」という副題は、終戦直前、深夜の偵察飛行機搭乗中に米軍機に撃墜され、高度6000メートル上空の月明の中で落命されたところからきています。

三高時代に始まるその日記は、学問に対する真摯さ(それはもう渇仰といってもいいほど)と深い自省に溢れている、いやそれしか無いといってもいいほどです。

令和の時代にのほほんと暮らす中年の私には、戦争という時代の流れに若くして命を捧げねばならなかった青年の思いは、なかなか受け止めにくいものでした。切なくて重すぎて。

でも、必ず読むべき本だという思いはありまして、この一年間、書架のよく目につくところにずっと置き続けていました。いわば宿題ですね。

そして、敗戦記念日の昨日、一気呵成に読み上げました。予想していたとおり、読後感はひたすら重く切なく、簡単に説明できるようなものではありません。また気が向けばこの本のことを書くかもしれませんが、今の私には荷が重いかなという気もします。

この書を読むきっかけは、以前少しこのブログで触れた、山口雄也君の『「がんになって良かった」と言いたい』という本です。彼は京大1回生の時にガンを宣告され、それ以降闘病を続けながら京大大学院に進んだものの、修士課程在籍中の今年6月に亡くなられました。

死と病とを思う

単なるセンチメンタリズムではなく、これだけ有為でバイタリティに溢れた青年が病に飲み込まれていくのが、私のような中年にはこれまた切なく重い。(そんな経験は幸いにしてありませんが)ちょうど生徒さんが、難病に巻き込まれていくのを見ているようで、何度か涙でページを閉じながらもこちらは一気に読み上げました。

時代や周囲の状況は異なりますが、林尹夫・山口雄也両氏の書くところには驚くほど似ているところがあります。強度の思念性と生命への強い思い。これは若くして自分の命が他律的に区切られてしまう人の共通性なんでしょうか。

方や戦争で、方や病気で。その長くない命を受容せざるを得なかったお二人は、明晰で感受性が高かったが故に、自らの死を客観視しています。残された私は、彼らの生き得なかったこの時間を大切に生きるしかない。

時代の流れによって落命された先輩。難病によって長く生きられなかった後輩。お二人の真摯な生き方に、中年の私は恥じ入ることしかできません。