中学入試国語・小説問題の難化に思うこと

難関中学入試の国語の出題文は、年々難しくなってきています。抽象度のかなり高い論説文、小学生には意図の掴みにくい随筆。いずれも国語を苦手とする受験生の鬼門となっています。

その中でも、近年とりわけハードになってきているなと思うのが、「小説」の出題文です。

主人公は小学生や中学生、彼・彼女らが友人や家族との交流の中で健やかに成長してゆく、なんて文章が以前は主流派でしたが、そうした牧歌的な出題文は徐々に少数派になりつつあります。

リストラにあった40代の中年男性が主人公となっていて、その苦衷を読み取らねばならない出題文。婚期を逸しそうになっている30台後半の女性の複雑な心境を汲まねばならない出題文。そんな出題文も珍しくなくなってきています。主人公が小中学生である場合も、新しい父や異父弟妹が同居しているといった家庭環境に置かれていて、胸中複雑な思いを抱いていたり。(念のために申し添えておきますが、「大学入試」の話ではありません。「中学入試」の話です。)

こうした出題文、小学生にはちょっと難しすぎて、酷なんじゃないかという気がします。

ただ、小学生といえども、現代社会の立派な成員。であってみれば、複雑な家庭環境や社会的背景に置かれた人間の感情を、ある程度理解できるようにしておいて欲しい。そういう願いが難関中学の先生方にはあるのかもしれません。

選良として社会に大きな影響力を持つ人ほど、複雑な環境に置かれた弱者の立場を慮る能力が必要になるということは間違いないと思うんですが、難関中高一貫校などは、そうした人材を多数輩出するという自負があるはず。

とすれば、その学校に入学してくる生徒は、人の心や感情の動きを察知し共感することができる(少なくともその素地を持っている)者であって欲しい。人間として他人の感情を理解し、それに応じたコミュニケーション行動を取れることは極めて重要な能力の一つである……。

そんな考えを背景として、難関中学入試の小説出題文が複雑なものになってきているのではなかろうかと思っています。


私もそうした趣旨には賛同するんですが、教える側からするとこれがなかなか大変でして(笑)。

だいたい、お預かりしている生徒さんは、あたたかいご家庭で何不自由なく育ってきたお子さんばかり。性格温厚にして勤勉篤実。子どもはそうあるのが一番幸せですし、大変喜ばしいことなんですが、こと複雑な背景を有する小説出題文には、どうしても弱いところがあるんですよね。すごく妙な読み取りをする中学受験生が多数出てきます。

おそらく、難関中学の先生方もそんなことは重々ご存知で、その部分こそが生徒達の課題だと感じていらっしゃるのだろうと思います。

では、どう対処するべきなのか?

結局は「想像力」を豊かにするしか方法はないのでしょう。

一人の人間が、すべての立場や人生を経験するなんてことは不可能です。若くして病に冒された人、やむを得ず犯罪に手を染めた人、家庭生活に破れ一人寂しく年老いた人、世の中にはそんな人達がごまんといるはず。でも、そんな立場に自らを追い込むことはできません(必要性も意味もない)。

となれば、想像力を豊かにし、人間として他者への共感を持つようにするしかない。

例えば、医師であれば、患者の立場に立って共感する。人を裁く立場にあるならば、犯罪に至る経緯を同じ人間として冷静に見つめる。法律を作る立場にあるならば、孤独に年老いた人の心を具体的に考える。人への影響力が大きい仕事ほど、「想像力」が欠けてはならないはずです。

そうした基礎を築くのが「国語」や「小説」の役割だと言うと、これはあまりに口幅ったいでしょう。それらの「想像力」を育成するのは、まず第一に各家庭や社会の役割だからです。

ただ、それを認めつつも、難関中学の先生方は「国語」の勉強、とりわけ「小説」分野の学習に、幾ばくかの「想像力養成機能」を期待なさっているのでないか。そして、それこそが中学入試小説問題の難化を招いている主因ではないかと思う次第。

そう考えてみると、中学受験生への入試小説問題の指導は、私のような非才には少々荷が重い仕事であるような気もするんですが、ご期待に添えるよう頑張っていくしかありません。