春の風は心を撫でる

休みなく働くのもちょっと限界に。身体を酷使するような仕事ではありませんので、身体は至って健康なんですが、1ヶ月以上連勤は精神的にちょっと辛い。

そんなわけで、先週の日曜日は急遽完全休暇にして、息子とちょっとドライブに出かけてきました。緊急事態宣言の趣旨に反しないレベルで、ですけれど。少し春めいた一日は快適で、すっかりリフレッシュできました。

思うんですけど、春の風って一種独特なものがありますよね。心を撫でてくれるとでも言うか。

まず夏の風。特に最近の夏の風は、身を焼き尽くさんばかりの「熱風」です。心身を撫でてくれるどころではありません。時々「夏場はバイクって快適でしょうね」と言われることがありますが、それはサウナ風呂の中を走ると快適だと言うのに等しいですね。

一昨年だったか、真夏日に東名高速をバイクで走行していて、ふと気温計を見ると(バイクに付いているのです)、摂氏40度。私は異常に暑さに強いのでそれほど苦にはなりませんが、路面から這い登ってくる熱気や、エンジンからの排熱を考えると、体感温度は40度を大きく上回ります。ほとんどガマン大会ですね(笑)。

次に冬の風。私は寒さには異常に弱いので(多分先祖が南方から来たんだと思います)、少しでも寒風が吹くと震え上がります。最高気温が10度を割ろうものなら、「ここはシベリアですか?ここは流刑地ですか?」などとブーブー文句を垂れまくっています。冬の風は「攻撃的な敵」以外の何ものでもありません。

秋の風。これは爽やかです。ヸオロンの溜息のごとき秋の風は、過ぎし日の思い出をありありと胸中に呼び起こす……って、ロマンティック過ぎますか。これは悪くないんです、悪くないんですが、やっぱりどこか「冬の予感」を孕む風なんですよね、私にとっては。そういう意味で、どこか心を許しきることができない風でもあります。

やはり身も心も慰撫してくれるのは、「春の風」しかありません。暖かく穏やかな風が心を撫でてゆく。孟浩然の「春眠暁を覚えず」も、清少納言の「春はあけぼの」も、どこにも「風」は記されていませんが、何となく春風の気配を感じるのは私だけでしょうか。

今、ふと気になって調べてみると、万葉集にこんな歌がありました。

宇良宇良(うらうら)に 照れる春日に ひばりあがり
心悲しも ひとりし思へば

さすが大伴家持。上の句で明るい春日の光と空に駆け上がる元気なヒバリを描いたと思ったら、下の句では一転、孤独な愁思に耽っている。

心身を撫でてくれる春の風には、心を許しきるからこそ、人はふと切ない思いがこみあげてくるのかもしれません。

それも含めて、やはり春の風が待ち遠しいですね。春風駘蕩の日々まで今しばし頑張りますか。