サービスにお金を払うのが好きだ

お盆休みも終盤。休み中はだらだらのんびりと……と思いつつも、やっておきたいことあれやこれやに手を付けてしまう貧乏性です。

休み中にある機械、いや隠さずにはっきり言うとバイクの簡単なメンテナンスをした時の話です。私はバイクに乗るのは好きですが、バイクのメンテナンスはあまり好きではありません。そんなことやってる暇があったら乗りたいよと。

ただ、乗物についてはメンテナンスは決定的に重要です。自動車であれ、バイク・自転車であれ、乗物は「命」を乗せるものですからね。メンテナンスを疎かにしていると、自己の命のみならず他者の命まで危険にさらしてしまう可能性があります。時々公道で見かけますよね、溝なんてのは遥か昔にあったかも、みたいなツルッツルのタイヤを履いたダンプカーとか。自分が運転している時には絶対に近寄りません。

自分の腕をほとんど信用していない私は、大抵のメンテナンスはプロであるバイク屋さんに任せます。もちろん有料になりますが、その方が時間も節約でき、はるかに安全ですから。

そもそも、自分でメンテすると、自分のメンテ力が信頼できないため、「ひょっとして危険な状態かも」という気持ちがどうしても発生してしまいます。そんな状態で運転していても何も楽しくないんですよね。ごく僅かのメンテ経験しかない自分と違い、数えきれないメンテ経験をお持ちのプロに任せれば、「安心」も手に入ります。

そんなわけで、今まで工賃や作業料を高いと思ったことはありません。むしろ「ありがてぇありがてぇ」とプロ達に感謝することしきりです。

話が少し大きくなりますが、日本人はサービスを無料で当然のものだと思い、サービスに対価を払うのを嫌がる傾向があるという説があります。

このあたりは言葉のニュアンスにも現れていて、「サービス」という語を国語辞典で引いてみると、「無料で、ものや労働を提供すること。[例文]一個サービスする。(三省堂国語辞典)」なんて説明もなされています。英語の “service” という語には「無料」の意は含まれないので(それは “free” だ)、やっぱりこの感覚は、欧米にはない日本独自のものではないかという気がします。

私は「サービス」にお金を払うのが大好きというか、無形のものにお金を払う方が結局は満足度が高いと思っているんですが、これは塾というなりわいが、「物」の売り買いではなく「サービス」の提供であるというところから来ているのかもしれません。というか、逆に、「サービスは有料だからこそ頼みやすいし、信頼でき安心できる」という感覚を持っているため、学習塾という生業を選んでいるのかもしれませんが……。

自分でする機械のメンテナンスと勉強の話を書こうと思っていたんですが、書いているうちに違う話になってしまいました。その話はまた別の機会に。