SNSに冷淡なわけ

SNS (Social Networking Service / ソーシャル・ネットワーキング・サービス) って原則として万人に開放されていますから、誰もがものを言える世の中が到来したと言えますよね。しかし、それによって、発言する誰もが「ものを言われてしまう」ことになったのも事実です。言いたいことが言える代わりに、見知らぬ人から言いたいことを言われてしまう。

実社会ならお互いに顔が見える関係ですから、相手にキツイことを言うのには心理的なハードルがありますし、逆に言えばキツイことを人から言われることはそうそうないということにもなります。

しかし、ネット上ではそうした制約がありませんから、ちょっとしたことで厳しい言葉の応酬が始まり、罵詈雑言のやりとりに終わるなどということも珍しくありません。

昔はSNSなど存在せず、見知らぬ他人と意見を交換できるのは、「2ちゃんねる」などの掲示板ぐらいでした。私は年齢的に、インターネット前夜の「パソコン通信」の頃からネットワークに親しんできた世代ですので、この種の「ネット上の意見交換の場」とのつきあい方はよく分かっているつもりです。


私が思うネットに関する真理。それは、どんなにまともな意見でも、どんなに奇矯で変態的な意見でも、かならず賛同者と反対者が同じぐらい現れ、論争が始まるということ。

「まともな意見なら、賛同者が多く現れ、反対意見の方はそれに押されて旗色が悪くなる」とか、「奇矯な意見だと、反対者が多く現れ、論破されてしまう」なんてことになりそうですが、ネット上では必ずしもそうはなりません。むしろ奇矯な意見の持ち主ほど、自己の意見を執拗に主張し、その意見交換の場でのプレゼンスを確立してしまう。

こうなるとまともな意見の持ち主は馬鹿らしくなって、その意見交換の場から自主的に退場してしまうわけで、その場では奇矯な意見が「勝ち=正しい」と見なされてしまいます。

もう時効ということで書きますが、随分昔、某掲示板にて極めて偏った政治的意見を実験的に書いてみたことがあります。もちろん、自分自身の穏当な意見とは全くかけ離れた意見です。ある時は極めて保守的というか極右のような主張を、またある時は極左的政治集団のような主張を。

異常な意見ですから、無視されたり反論されたりするだろうかと思いながら反応を「観察」していると、意外や意外「然り!然り!思っていることを書いてくれた!」なんて賛同意見が結構出てくる。俺そんなことこれっぽっちも思ってねえんだけど(笑)。もちろん、反論も出てきますが、上述のとおり、数としては賛同者とトントンぐらい。

で、思うんですが、自分が確固たる政治的(政治的じゃなくてもいいですが)意見を持っていて、真剣に書き込んでいたとしたら、賛同者に励まされる反面、反論してくる人間にどうしても再反論したくなると思うんですよね。でも上述の通り、どんなに理路明晰な主張であっても、めちゃくちゃな意見であっても、賛成意見と反対意見は同じぐらいの量になりやすい。

とすれば、賛成意見も反対意見も、理の全く通っていない議論が多いはずで、そんなのをまともに相手しようとしても時間と労力の無駄になりやすい。というか、間違いなくそうなる。


そんな風にネットにスレている私は、SNSで意見を交換することにほとんど興味が持てません。最近も某思想家がTwitterのアカウントを抹消したという話や、時代の最先端を行く批評家がTwitterの発信をあきらめたなんて話を聞きましたが、そりゃそうなるだろうと。有名人であればなおのこと上記のような傾向は増幅されるわけですしね。ネットワークそのものや、ネットの向こうにいる人間を性善的に捉えすぎなんじゃないかな。まあ考えは人それぞれですけどね。

ということで、当塾に関しては、SNSによる発信にちょっと冷淡な姿勢を取り続けております。すみません。ご用の方とは直接お話するのが最も実りが多いと信じるが故とご理解賜れば幸いです。

なお、SNSを活用なさっている方が、当塾のブログなどへのリンクを張られるのは、肯定的文脈であれ否定的文脈であれ自由です(それがインターネットというものだ)。当然連絡も不要です。お好きにどうぞ。