今宵会う人 みな美しき

ご無沙汰してしまって申し訳ございません。GWは仕事にも大きく関わる電脳環境を整備しまくっていました……と言いたいところですが、遊びほうけてしまって全く進行せず。行きたいところに行ったり、読んでおきたい本を読んだりで、仕事はごく僅かしかしませんでした。まあ、たまにはいいか(と自己弁護)。

連休中、少しバズっていたツイートにこんなのがありました。

そうだとしたら、私の場合、仕事をリタイアした後も、楽しくって仕方がない日々が続くことになります(笑)。仕事は嫌いではありませんし、むしろ有り難いことに楽しくさせていただいていると言えますが、その一方で、仕事だけが生き甲斐だとも思いません。

仕事以外にも、楽しいこと・したいこと・するべきことは、いくらでもあります。時間が足りなすぎて困る困る。

私の経験上、死を目前にして「人生って長かった」と言った人は、一人もいません。皆「人生って本当にあっという間だったよ」と言うんですよね。私もそうした述懐がある程度現実味を帯びて感じられる年になっておりまして(笑)、人生が本当に短いものだというのは、彼・彼女らの偽らざる実感だろうと思います。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

ふと思い出した歌詞を調べてみると、なんと吉井勇作詞なんですね。今知りました。いい歌詞だなあ。

この人の詠んだ歌で有名なものがあります。

かにかくに 祇園はこひし 寝るときも
枕のしたを 水のながるる

ちなみに「かにかくに」というのは「あれこれと」という意味。「寝る」は古文調に「ぬる」と読んでくださいね。

しかし、本当に祇園っぽいですよね。ちょっとアダルトなムードもあって、すごくセンスがいい。ただ、これって京都人には詠み得ない歌だと思うんです。エトランジェが京の都の花街を訪れ、のんびり過ごしている時に思う感慨じゃなかろうか。

調べてみると、吉井勇という人は、もともと東京出身の華族でして、なるほどなと思います。どこか京都に対する「美化」があるんですよね。

京都で学んだり仕事をしたりする大阪人は、京都のことを「なんか辛気臭い街やな~」なんて思うことがあるんですが(すみません)、京都から暫く離れると、何かとても美しくしなやかな街のように思えてくるんですよね。不思議。


何年前だったか、家族皆で、夕暮れの迫る鴨川べりを散歩し、先斗町(ぽんとちょう)あたりまでぷらぷらと歩いた日があったんですが、私にとって、何となく忘れられない一日になっています。

暑くもなく寒くもない穏やかな夕暮れ。すれ違う人はみな美しい笑顔。あれれ、京都ってこんなに美しい人ばかりの街だったっけ?

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜(はなつくよ)
今宵会う人 みな美しき

まさにこの与謝野晶子の歌の通りです。そして、そのとき初めて本当の意味がわかりました。穏やかな心・余裕のある心を持ったとき、周りの人々が美しく見える。本当に美しいのは、会う人ではなく、あなたの心なんだよ。

いや、まあ、私の心が美しいと言っているわけではないんですよ。たまたまその日も次の日も仕事がなく、家族で穏やかに過ごしていたので、気持ち的に余裕があっただけなんです。

ただ、そうした穏やかで和やかな気持ちになったとき、街が、人が、人生が美しく見えるものなんじゃないでしょうか。できるだけいつでも、そうした風に人生を眺めたいと思っているんですけどね。

なんか偉そうな話になってしましまいました。明日も朝早いのでこのあたりで。