台風翌日の大阪城公園

前回の記事、台風について記録しておこうと思って書き始めたんですが、2-3行書いているうちに気が変わって全然異なる内容に着地してしまいました。まあ、いつものことなんですけれど。

当ブログ、記述内容を考えて、厳密な段落構成を考えて、それから文字数を考えて……なんてことは全くなく(笑)、本当に思いつくままに書かせてもらっています。かなり多くの方々が読んで下さっているようでお恥ずかしい限りなんですが、今後もこのスタイルで行こうと思っております。お付き合い下さっている方々に感謝申し上げます。


さて、前回書こうと思っていたのは台風21号の残した爪痕。私としても生まれてこの方体験したことのないような暴風で、大阪の街にはかなり大きな被害が残されました。

最近、当塾からほど近い大阪城公園には多くのカフェが出来ておりまして(ここ最近の大阪はインバウンド様々なのです)、私も時間のある午前中などは、仕事道具を持って出かけることがあるんですが、その際に撮影した写真によるレポートです。原則として台風翌日(2018.09.05)の風景。

 

 

大阪城公園の森ノ宮入り口近辺。噴水があるところのそばです。「立ち入り禁止」との表示があったんですが、自転車や歩行者は通行しても構わないようで(多分)、みんな無視して通っておりました。ご覧の通り、道は倒木で寸断されている感じ。自転車なので間を縫って走ります。

 

 

JO-TERRACE(ジョーテラス)の駐輪場の辺り。JO-TERRACEは、大阪城公園駅そばの飲食店や観光スポットの集まった施設で、できて1年ほどでしょうか。時々カフェを利用するんですが、その際に利用するのがこの駐輪場。あらら、駐輪場を覆うように生えていた背の高い木々の多くが倒れています。

 

 

喬木が日陰を作っていたんですが、ほとんど日陰が無くなってムードが大きく変わりました。爆撃にでも遭ったのかというような風景。

 

 

台風の翌日にも関わらず、もう重機が入って関係者の方々が作業をなさっていました。やっぱり大阪城公園は訪日観光客を迎える大事な場所ということなんでしょうね。

 

 

根っこから倒されている木々もあって、当日の風力の凄まじさが伺い知れます。台風がまさに通過している最中、自宅ベランダに出たところ、風は凄まじい勢いで南から北に吹いていたんですが、大阪城公園で倒れている木々も、おおむね北側に向かって倒れていました。近所ですから当然ですが。

 

 

こちらは台風の翌々日(2018.09.06)の風景。この日は午前中が空いていたので、副代表と二人でJO-TERRACEのカフェに出かけました(といっても仕事をしていたんですが)。昨日の倒木はチェーンソーで切り刻まれておりまして、見るも無残な姿に。後に見える白い建物は結婚式場なんですが、窓から眺める景色がちょっと無粋なものになってしまったかもしれません。

この大阪城公園、戦前は砲兵工廠と呼ばれる東洋最大の軍需工場でして、それ故に、終戦日の前日(1945.08.14)に米軍による徹底的な爆撃を受けたところです。その結果、軍需工場は壊滅し、辺り一帯は完全な焼け野原と化しました。もちろん、多くの人々の命も奪われました。そう言えば、こんな記事を書いたことがありましたっけ。

終戦日前日の大阪大空襲に学ぶ

これらの木々が何時植樹されたのかは知りませんが、古ければそのすぐ後ぐらいでしょうか。もう少し新しいかもしれませんが、いずれにせよそれなりの年月を経てきた木々です。よく見ていた木々なので、何か勿体ない気がします。

 

 

のんびりとカフェで過ごせるような平和な日々が続くことを願っています。