余命10年

しばらく体調を崩していたこともあって、授業と授業準備で精いっぱいの日々を送っておりました。夏は本当に鬼門なんですよね。

暑いのは全然平気なんですが、仕事量がどさっと増えて、ほぼ限界まで達するせいか、体調を崩しがちなんです。去年は何ともなかったんですけどね……。今年は精神的にも余裕のない日々が続いたせいでしょうか、結構来ました(笑)。とはいえ、それもほぼ回復しまして、ブログにも復帰というところです。


実は、本日(2018.08.29)は私の誕生日。もう誕生日にどうこう感慨を覚えるような年齢でもないんですが、今年は少しばかりの感慨を感じる、いや、感じようと思っています。

本日で私は49歳になったんですが、父がこの世を去ったのは満59歳になったばかりの時でした。父の誕生日は8月24日、私の誕生日は8月29日。いつも合同で「誕生日会」を行っていたんですが、それがかなわなくなってからもう既に18年が経っています。

誕生日会といっても特に大したことをするわけではないんです。ちょっとおいしいものを家族で食べに行ったりして、「おめでとう」というだけの話なんです。ただ、それがいかに貴重なことであったのかが分かるのは、それを失ってからのことです。

自分が父と同じ寿命だとすれば、私の余命はジャスト10年。もちろん、もっと生きることもあるでしょうし(というか家族からはそれが求められている)、それより短いこともあり得ます。

ただ、人生が有限であることだけは確かです。否も応もなくいつかは終わりが来る。それならばしっかりと終わりを見据えて生きた方がいい。自分の人生はあと10年しかないと考えて生きた方がいい。

具体的には、やりたいこと・なすべきことをあまり遠くに置かないようにしたいんです。「60歳になったら、○○しよう。」「65歳になったら、××するつもりだ。」ダメです。無理です。その時、もう私は死んでいる。本当に心からやりたいことがあれば、できるだけ前倒しで取り組む。あと10年以内にやり遂げる。


そんな風に生きていきたいということを妻には伝えたんですが、普段は殴っても死にそうにない私の言葉だからでしょうか、笑い飛ばされました。結構真剣なんだけどな(笑)。

つい最近、以前大変お世話になった税理士さんと、町で久しぶりに出会い、あれこれとお話をさせていただいたことがありました。私の父や祖父の代から当家のことをご存知でいらっしゃるので、自然、話は父のことになります。「お父さんは本当に若くで逝かれたね……。」

で、「自分も余命十年と思って生きていくつもりです」というお話をすると、呵々大笑されて、「いや〜、私の周りでもお父さんお母さんを早くに亡くされた人って、みんな同じようなことを言うんだけどね、全員親より長生きしてるんよ。だから気にせんと暮らしたらええよ。」とおっしゃって下さいました。ありがたいお言葉です。

そうですね、やっぱり家族や周りの人々のためにも、もっと長く生きるべきだとは思います。ただ、人生は無限ではありません。やれることも無限ではありません。

胸に手を当てて、ある事が本当にやりたい事かどうか、10年という限られた命=時間の中でなすべき事なのかどうかを真剣に問いつつ生きていきたいと思っています。

「memento mori (死を忘るるなかれ)」は私の大好きな格言。命の終わりを確認する事が、命を輝かせる事になる。私はそう解釈しています。

さあ、今日から10年の余命。頑張って楽しんでいこうと思います。