塾講師のテキストへの書き込み・授業準備

当たり前のことですが、人に国語を教える際には、教材を用いる必要があります。当塾では、入試問題こそが最高の教材であるというポリシーに基づき、教材に実際の入試問題を利用しているんですが、教える側としてはあれこれ準備をして、書き込みをしておく必要があります。

重要部分に線を引いておいたり、問題の解答をいくつか用意しておいたり、言及すべきポイントを記入しておいたりと、書き込みの内容は様々なんですが、特に重要視しているのは、個別的な問題から一般的な法則を学んでもらうということです。

良い入試問題は、一般的法則を身に付けやすい部分が多いだけでなく、その質も高いんですよね。比喩的に言えば栄養たっぷりな問題であるわけです。隅から隅まで栄養だらけ。教える側としても料理のしがいがあります。

で、その「料理」の下ごしらえとして、問題文やテキストに書き込みをしているわけですが、この書き込んだ部分、人に見せるのはあまり気が進みません。他の指導者の書き込みや授業準備を見たことがないので、はっきりとは言えませんが、どの方にとっても普通はあまり見せたくないものの一つなのではないでしょうか。

私がそう思う理由は二つあります。

1.字が汚い

そもそも金釘流の字しか書けないことに加えて、授業準備書類は他の方に見せることを想定したものではない(自分さえ読めれば事足りる)ので、とにかく字がごちゃごちゃになりがちなんですよね。人様に見られると「こいつ、こんな汚い字を書いていて、指導の方は大丈夫なのか」と不安がられそうな気がしまして。

もちろん指導の方は大丈夫なんですけれど、字が汚いことについてはちょっと劣等感を持っているんですよね。恥ずかしながら、私より生徒さんの方が字がうまいなんてケースは枚挙に暇がありません。

書のたしなみがあって「内閣総理大臣賞」みたいなすごい賞を受賞した生徒さんも見させていただいていたことがありますが、そんな子の前でへったクソな字を書いている私も相当臆面のない人間だなと。ホワイトボードに書いているのは、ハムラビ法典か何かと思われていたかもしれない(笑)。

2.わけの分からない表記になっている

先述の通り、自分さえ内容が分かれば事足りる書類ですので、書き込みのかなりの部分が、他人に分からない符丁・記号や意味不明の表現になっています。

具体的には「これあかん」「さきにこっちやっとこ」みたいに関西弁で書き込んであったり、「じかゆ」(問題集に付いていた解答ではなく、『自作の解答を優先』して教える)といった符丁が使われていたりするわけです。

中でも一番多いのは、やや古風な表現で書かれている書き込み。「A部分は○○と云ふ事」「Bは○○と思ふてゐる」「L5にて○○と云へり」というような感じ。別にそれで時間が削減できるわけではないんですが、なんとなく自分の気持ちにしっくり来るんですよね。

かつて福田恆存という堅い評論家がいて、いつもそんな表記方法をとっていらっしゃったんですが、この年齢になってみると彼の気持ちが何となく分かるような気がします。舊假名づかひのはうが正しい、舊字體のはうが本当(ほんたう)だ。

私はそこまで言うつもりはありませんが、旧仮名遣い・旧字体の方が理屈が通っていることも多く、使っていて楽ということがままあります。まあ、気分の問題。

そんなこんなで、意味不明表現が渾然と書き連ねてある授業準備の書き込み、他所様に見せるわけには参りません。あ、当然のことながら、授業自体はちゃんと生徒さんに分かるようにお話ししておりますのでご安心下さいね。当塾はいつでも生徒ファーストでございます。