芦田愛菜の国語力

少し前、名子役の芦田愛菜が難関中学に合格したというニュースがありましたよね。最初にその報に接したとき、忙しい芸能活動と受験勉強をよく両立させたものだと感心しました。

もちろん、入試直前期は受験勉強一本に絞ったことと思われますが、最難関校合格者の一般的な受験生活、つまり、かなり早い時期から勉強一辺倒でいくというスタイルの生活でなかったことは間違いないでしょう。

しかし、よく考えてみると、彼女の役者経験は合格に大いに役立ったのではないか。

常々思っている事なんですが、役者・俳優の仕事というのは、極めて高度な「国語力」を必要とするはずなんですよね(その能力を「国語力」と呼ぶかどうかは別として)。

与えられた脚本を読み込み、登場人物の性格や感情をしっかりと把握する = 読解力

把握した性格や感情の動きを、観客に十全に伝えるべく表現方法を考える = 論理力

言葉・表情・身振りを最大限に活用して人物を表現する = 表現力

これって、国語の入試問題を解くのと極めて類似した能力だと思います。より正確には、入試に必要とされる国語力よりも遥かに高度な能力。

(俳優をやったことがないのであくまで想像ですけれど)脚本を読み込む部分や、表現方法を考えるという部分は、入試で必要とされる能力とそれほど差はないような気がします。

しかし、表現力の部分は、入試とは比にならないほどの難度だと思うんですよね。入試問題は文章で書けばよいだけですし、ポイントを掴めていれば十分合格点はもらえるわけです。一方、演技はそうはいきません。言葉は観客の前で発せられるものですから、声の大きさ、声の高低、声の震えさえもが問われるでしょう。そして演劇人がよく言うように「間」をいかに取るのかが演技の質を大きく左右します。

表情、身振り、視線、その他諸々の要素まで考えれば(というか、言葉よりこちらのノンバーバルな部分の方が重要だろう)、演技には無限と言ってよいほどのバリエーションが存在します。そのいずれを選び、いずれを選ばないのか。そこには冷徹な計算がなくてはならない。もちろん、本能的にそこをこなせる役者もいるでしょうが、それは例外的でしょう。

加えて、入試の解答は採点者を感動させる必要はありませんが、演技はその正反対です。観客を劇世界に引き込み、感動させねばなりません。また、同じ作品に携わる共演者・監督・裏方さんとの協調も必要なはずです。

そんなわけで、役者・俳優に求められる能力は、非常に高度なものだと私は思います。その能力を開発・発展させるにも非常な努力がいるでしょう。だからこそ、優れた役者さんには賛辞を惜しみたくない。

上記のようなことを考えるに、名子役の名をほしいままにしてきた芦田愛菜ならば、難関中の国語入試問題といえど、かなり処しやすいものだったのではなかろうかと思います。首都圏の中学入試の方が関西圏の中学入試よりも国語の難度・比重が高いこと(特に女子中についてはそれが顕著だと思う)を考え合わせれば、子役としての経験は、邪魔になるどころか大いに役立ったのではないでしょうか。

受験生の皆が子役経験を積めるわけではないので、一般化しにくいケースではあります。加えて、算数理科という科目には妥当しませんしね。ただ、名俳優・名女優・名子役をもっと尊敬してもらえればと考える次第。

今後、国語力のある人には有利な大学入試制度に変わっていきそうなので、彼女の将来には輝かしいものがあるでしょう。芸能界・演劇界かそれ以外の世界かは分かりませんが、きっと社会に大きく貢献する女性になることと思います。楽しみですね。