生徒によって採点基準は違うという話

毎日毎日が飛ぶように過ぎていく12月。今年ももう残り二十数日ってご存知でした?いや、誰でも知ってますか(笑)。

たくさんの方にご覧頂いているということもあり、ウェブの方に手を入れなくてはならないのも重々承知なんですが、なかなか時間が取れません。そもそも、現実社会の方でも新規受講のご希望をなかなかお受けできないような状況が続いており、大変申し訳なく存じている次第です。

そうそう、たまには国語指導の話もしないとなりませんね。

完全少人数制宮田塾の方では、小学1年生から小学6年生までのお子さんをお預かりしているんですが、生徒さん・保護者様のニーズは様々。受験を念頭に置いてややハイレベルな指導を希望する低学年の生徒もいれば、公立中学でトップ層に位置することを目的としてしっかり勉強に取り組む高学年の生徒もいます。

受講科目も低学年は国算・高学年は国算理社英というふうに一応定めてはいるんですが、国語だけをブラッシュアップしたいという方もいれば、算数を重点的に指導して欲しいという方もいらっしゃいまして、ご要望は様々。そのあたりも「国語のみ指導」とか「国算中心、でも試験前には理社も組み込んで指導」といった感じで臨機応変に対応させて頂いています。

そんなわけで、「宮田国語塾」として受験生の国語を指導するのはもちろん、「完全少人数制宮田塾」として低学年のお子さんの国語指導もさせていただいているんですが、読解力や国語知識は本当に千差万別。したがって、指導も全部同じパターンというわけにはいきません。

原則として、文章を読んで問題を解いてもらうスタイルが多いとは言えますが、同じ文章問題でも生徒によって説明も違えば、採点・評価の仕方も大きく異なってきます。「あれっ?採点や評価が生徒によって異なるっておかしいんじゃないの?客観的に答案を評価するならば、採点基準は同じであるべきではないの?」と思われるかもしれませんね。

確かにその考えも一理あるんですが、そこはやっぱり「入試の現場」ではなく「指導の現場」。指導効果を最大化するということが一番の目的になりますから、ちょっと考えを変えた方が良い。

例えば、「ママはにっこりとほほえんだ。」という部分に傍線が引いてあったとしましょう。問題は「ママはどうしてほほえんだのですか。」そして、本来の解答は、「息子が心からサッカーを楽しんでいる様子を見てうれしかったから。」だとしましょう。

もちろん、高学年で一定以上の学力を有していれば、上記の通りの解答が欲しいところですから、間違いや解答の不備があれば細かく説明することになります。

ただ、小学低学年の子や、国語(記述問題)を苦手とする子に「最初から」完璧を求めることは、結局は達成レベルを低めてしまうのではないかと思っています。ちょっとぐらい不備があっても、それはそれで大目に見る。文章の大まかな骨組みが読めていて、一定の枠の中に解答内容が収まっているならば、○を与えて「よくできました」と評価する。

例えば、「サッカーを楽しんでいるから。」という解答は、主語が明示されていない点・母親の気持ちに言及がない点で、まだまだの解答ですが、理由→結果という題意を酌んでいるという点においては、評価してあげたい。私達の場合(採点や指導方法については毎日のように副代表と相談しています)、この解答が小学1・2年生のものだったら、とりあえずは○を付けます。

そして、集中力が切れそうな時間帯だったら、それ以上に踏み込んだ指導は敢えてしません。逆に、もう少し生徒に(理解や集中の)キャパシティがあるようならば、「あとはこんな風にするともっといい解答になるね。」と、より良い解答例を示したりもしますが、決して完璧は求めない。

低学年の子どもや読解を苦手とする子に、最初から完璧を求めると、本当に「国語嫌い」「勉強嫌い」になってしまいかねない。なんか細かいことばっかり注意される科目だな、面倒臭いな、と思って欲しくないんですよね。ゆっくり文章に取り組んだら、なんだ結構簡単にできるじゃん!そう思って欲しい。もちろん、勝手な読みはダメですから、それを許容することはありませんが。

何々、いい加減な読みが身についてしまわないかが心配です?心配ご無用。

毎週毎週文章を読むわけですし、同じような問題は本当に腐るほど出てきます。国語における出題パターンは数が限られていますからね。加えて、私達の方で、この子はそろそろこれぐらいの解答を書いてもらいたいな、そろそろこれぐらいまで要求しても大丈夫だろう、としっかり観察しておりまして、いつまでも甘い解答を許容するわけではありませんから。

そんなわけで、初回面談では現在の学力や家庭でのご様子を、結構細かく聞かせていただいております。そうそう、初回面談は……って、この話は長くなりそうなので、また別記事にて。