また大きな地震が起こってしまいました。天災ですから誰を責めるわけにもゆきません。人間はただただ翻弄されるしかない。鴨長明や吉田兼好に言わせれば、人間とは、人生とはそういうものなのだということになるでしょう。
私見ですが、中世までの人間と異なり、近代以降の人間は、人生や命を自分のコントロール下にあるもの・あるべきものと信じ込みすぎているのではないか。以前にも書きましたが、生まれることは自分の意思やコントロールのもとにはありませんし、死ぬことも(自殺することを除けば)自分の意思やコントロールのもとにはありません。人生の最大事が自分の思うままにならないならば、人生も自分の思いのままになるはずがない。
地震などの天災で命を落とされた方には、心から同情します。大切な家族を残す無念もあれば、やりとげられなかった仕事への思いもあるでしょう。しかし、上記のような意味で、死ぬべき時が来たなら甘んじて受けざるを得ない。不謹慎な発言だと思われるかもしれませんが、それが人間という存在の真実だと思うのです。祈ってみても叫んでみても、その不合理さは変わらない。
亡くなった方々にはご冥福を祈るぐらいのことしかできませんが、私がいつも思うのは、残された人たちの苦しみです。愛する人を失って、この先どうすればいい。生きている限り、悲しみを背負い続けるしかない。ふと空を見上げては、この広い世界のどこにもその人がいないことに気づき愕然とする。
今は暮らしを再建されることにすべてのエネルギーを注がれる時期でしょうから、大切な人を失った悲しみに囚われることはあまりないかもしれません。しかし、暮らしが落ち着いた時、例えようのない悲しみが襲うのではないか。それはある意味、地震そのものよりも苦しいことではないか。
被災された方々に何もできない自分の無力さにはがゆさを感じますが、今回の大地震によって、大きな悲しみの渦に投げ込まれた人が多くいらっしゃることだけは忘れてはならないと思っています。