前記事にも少し書きましたが、映画『世界の果ての通学路』を見てきました。
『世界の果ての通学路』予告編
『世界の果ての通学路』は、自宅から遠く離れた学校へと通学する子ども達を取り上げたフランス製ドキュメンタリー映画。主に描かれるのは彼ら・彼女らの「通学風景」なんですが、この通学路が日本人の想像を超えています。小学3年生〜中学1年生ぐらいの子どもが通学するには、あり得ないほど苛酷な通学路なんです。エクストリーム通学路。
「通学」ということは、当たり前ですが、定期的に通わねばならない道であること、往復が必要な道であることを意味します。一日だけ、片道だけではありません。大人でも大変なこの道を、年端もゆかぬ子どもが一生懸命に進んでいく。もう、それだけで尊いではないですか。
映画は、4組の通学風景が交錯するように進むんですが、どの子の通学路も困難を極めます。ケニアのジャクソン兄妹は、家から学校までの距離15km(ということは往復30km)。交通機関があるわけではありません。舗装路を行くわけでもありません。気性の荒そうな象のいるサバンナを、半ば命懸けで走り抜けねばなりません。
アルゼンチンのカルロス兄妹は片道18kmの通学路。巧みに馬を操り、妹と二人乗りで学校に通います。感心したのは、状態の悪い砂の斜面でも、スイスイ乗りこなすカルロス君の乗馬テク。絶対に優れたガウチョになるだろう、というか今でも即戦力ですね。
モロッコのザヒラは、片道22km。同学年の女子3人で通っているんですが、周りの大人が結構冷淡なのが印象的でした。女性に教育は不要だというような考えが成人男性にあるのかもしれません。
インドのサミュエルは、足に障害があるため、自分一人では4km先の学校に通えません。助けてくれるのは弟二人。どう贔屓目に見ても乗り心地が良いとは思えない車いすを、弟二人が一生懸命押してゆきます。出発の時から、ホイールがガタついていてヒヤヒヤさせられたんですが、案の定道中でタイヤが外れてしまいます。大丈夫かな……と一番心配になったグループ。
通学路の困難にめげない強さは感動的です。でも、私が本当に胸打たれたのは、どの子も、勉強を大切なものだと心から信じ、自らを向上させようとする気持ちに溢れていた点。
未来を信じる。自分を信じる。努力という価値を信じる。自らを向上させることに高い価値があると信じる。困難な通学路に耐え抜く姿に、そうした姿勢が現れているからこそ、世界中の人々が感動するのだろうと思います。
学ぶことは尊い。向上しようと願い、そのために努力することは尊い。尊いという言葉が堅苦しいというなら、美しいといっても良い。学ぶことは美。職業柄かもしれませんが、心からそう信じています。そんな私にとって、この『世界の果ての通学路』という映画は、とても美しく思える映画でした。
映画では、どの家庭の保護者も、子どもが学ぶことに高い価値を置いていたのが印象的だったんですが、それも私が共感を覚えた点。個人的な意見ですが、親が自分の子に残してやれる、かつ、残すべきものといえば、無形の財産=知恵・知識・教育ぐらいしかありません。有形の財産は使えば終わり、なくせば終わり。場合によっては子を害することすらあります(お金に恵まれたが故にどうしようもなく怠惰な人間になる等)。知恵や教育はなくならない、奪われえない。
ケニアのジャクソン君が夢を語るシーンもすごく良いんですよね、知的な光の宿った目で「できればパイロットになりたい、世界中を空から見てみたいんだ!」と言うシーンでは、思わず「君やったら絶対になれる!頑張りや、おっちゃんも陰ながら応援してるで!」と関西弁で応じました(もちろん心の中で、ですけれど)。
インドのサミュエル君の弟二人にも感動。足の悪い(しかも弟には結構偉そうな)兄貴のサポートをしているのに、恩着せがましくなるわけでもなく、自然体でキャッキャと車いすを進める二人。健気で無邪気で、思わず目頭が熱くなりました。
塾を運営しているため、映画に出てくるような年齢の子ども達とはつきあいが多い上に、我が息子も同世代。感情移入するなという方が無理なんですが、それを差し引いても、とても良い作品です。私、44歳のおっさんですが、彼ら・彼女らの姿勢を見習わねば、という気持ちで映画館を後にしました。
何か向学心に燃えるためのモチベーションが欲しいと思っている大人こそ、見るべき映画なのかもしれません。