矢野顕子「ラーメンたべたい」

今日は前回のブログを書いていて思い出した曲について。

矢野顕子の「ラーメンたべたい」です。私がラーメンを食べるとき、口ずさみ率100%の曲ですが(そんなことはどうでもよい)、天才の作る名曲とはこういうものだと思います。

ご存じない方のために、まずは映像でご紹介。(検索しておいでになったファンの方には既知の映像だと思います。そういう方にはエレクトロニカ風に始まる強烈な演奏版をオススメします。)

もとのアルバムでは、バンド・アレンジになっていますが、このライブ映像ではピアノの弾き語りになっています。歌詞も少し変わっているようです。

矢野顕子 – ラーメンたべたい

一応塾のブログなので、詩に注目して国語関連の記事にしてみましょう。YouTubeの投稿者コメントを見ると、国語の教科書にも採用されたことがあるとの由。

「ラーメンたべたい」
作詞・作曲 矢野顕子

ラーメンたべたい
ひとりでたべたい
熱いのたべたい

ラーメンたべたい
うまいのたべたい
今すぐたべたい

チャーシューはいらない
なるともいらない
ぜいたくいわない

けど けど
ねぎはいれてね
にんにくもいれて
山盛りいれて

男もつらいけど
女もつらいのよ
友達になれたらいいのに

くたびれる毎日
話がしたいから
思いきり大きな字の手紙読んでね

(便宜上、私の方で歌詞を6連に分けています。)

矢野顕子氏、深く考えずに詩を作っておられるのではないかと想像しますが、曲と相まって恐ろしいほどの効果を生んでいます。

第1連~第3連は、すべて「ai」の音で脚韻を踏んでいます(=各行最後の音を「ai」で合わせている)。かつ、「たい」「ない」という助動詞で、はっきりとした希望や打消を表現しています。人物像としては、一人でラーメンをかき込むという少し男っぽい女性が浮かんできます。

第4連で「けど けど」と注意を喚起した上で、脚韻は「e」の音に変わります。内容はラーメン店主(?)への依頼。

第5連で脚韻は崩れ(そして曲もここで転調します)、一気に女性の本音が表れます。ここに至るまで、ただのラーメンの話であったにもかかわらず、急速に一女性の心の叫びへと詩は展開するのです。

男と女というと、互いに愛情を持たねばならないというルールに縛られたり、主従関係・上下関係に似た重い関係になることが多く、ある意味、男女の戦いを強いられる → そうではない気軽・水平な関係=友人関係になりたい、という主張でしょうか。「友達になれたらいいのに」という表現には、「友達関係になれるはずがない」というあきらめの気持ちも垣間見えます。

そして最後(第6連)に、私を見て欲しい・理解して欲しいという気持ちが、「大きな字」の手紙として届けられます。一人でラーメンをかき込むという男っぽい女性が一転、女性としての本音をぶつけてくるのですから、少なからずドキッとします。

男性としては「大きな字の手紙」が来たら、しっかり理解するよう努めねばなりませんね(笑)。

彼女の曲が気に入った方は次の映像もどうぞ。

矢野顕子 – ごはんができたよ

大人になることの辛さ。そして親の有り難さ。
身に染みる名曲です。