大人になったと感じる時


休みの日にちょくちょく映画を見に出かけるんですが、私が特に好きなのは最終上映の回。終映時24:00みたいな回です。妻は深夜に出かけるのを好まないので、大抵一人なんですが、それもまたいいんですよね。

家からほど近い梅田や難波ではなく、ちょっと遠方の映画館だと終電はもう無い時間。一人で車やバイクに乗って映画館に出かけるんですが、帰り道、映画の余韻に浸りながら運転するのもまたいいんですよね。何だか、自分が大人になったなという感じがします。って、成人してから30年以上が経っていますが……。

あと、滅多に行く機会はありませんが、ホテルのバーでグラスを傾ける時なんかも、自分が大人になったなと実感する時です。夫婦で旅行に出かけた時に、「バーでグラス1杯サービス」みたいなサービスが付いてくることが稀にあるんですよね。

といっても、アルコール全く無理という人間なので、バーの片隅でソフトドリンクを飲んでいるだけなんですけれど。まあ、あくまでムードを楽しむだけです。マイルスの Kind of Blue なんかが流れていると最高(ベタですけど)。ちなみに、なぜか「お酒が強そうですね」と言われることがあります。褒められているのか何なのかよく分からず、いつも曖昧に笑ってごまかしています。1ccも飲めません(笑)。


生前の父親に、「息子が大人になったなって思ったのってどんな時?」と聞いたことがあります。父は「お前の運転する車に初めて乗せてもらった時かな」と言っていたんですが、つい最近、私も息子の運転する車に乗せてもらう機会を得ました。

運転自体はスムーズで、特に恐怖感もなく助手席に乗っていたんですが、何となく自分の運転にムードが似ているような感覚を覚えました。私は息子を連れて散々車で旅に出かけて来ましたので、その中で運転感覚が自然に伝わったのかもしれません。

私は高校生の頃からバイクが好きで、結構な距離を公道で走ってきました。そんなところから、バイクであれ自動車であれ自転車であれ、公道での走行には(大したものではありませんが)一家言あるんですが、何か気付く度にそれらを助手席の幼い息子に伝えてきました。

不必要なところで何度もブレーキランプを光らせる車がいたらどうするか。タクシーが前を走っていたらどうするか。右折レーンで対向車を待つ時の視線はどこに置くか。高速道路で本線に入る時にどれぐらいの速度で進入するか。そういった類いの事です。

息子が自分で車を運転するようになった以上、これからはそうしたことももうほとんど無くなるだろうと思います。運転手に横からあれこれ言うのは最悪な振舞いですからね。

今この記事を書いていて気付きました。「(運転に関しては)もう何も伝えられない」と思うことも、息子が大人になったと感じる原因だったのかもしれませんね、私の父も。

父が病を得てからは、私がハンドルを握り、父と付添の母を病院まで送っていました。「ほんまに人使い荒いな〜」なんて笑いながら。車中ではバカな話をして笑っているんですが、病院前で二人を車から降ろした後、ルームミラーをのぞくと、そこに映る父の姿は昔と違って弱々しくて。車を停めて駆け寄り抱きつきたい気分は抑えるものの、ひとりぼっちの帰途はいつも涙を拭い拭いの運転でした。

もうそんな日々も随分昔のことになりました。でも、あんなに寂しい運転はもうしたくないなと思います。そして息子にもさせたくない。うん、UberTaxiにしよう(笑)。

そうした日はまだまだ先のことだと信じたいですが、大人になるということは死へと一歩近づくことでもあります。ありきたりですが、お預かりしている生徒さんの学力を向上させるためにも、1日1日を大事に生きていきたいと思います。