国語豆知識「居すくまる」 宮沢賢治『やまなし』から

小学4年生受験国語部門の授業は、目先の点数にこだわらず、できる限り「国語力の裾野」となるような部分を重視して運営しております。というのも、結局はそれが難関中学が求める学力に合致するからなんですけどね。あんまりテクニカルな部分に走らず、基本を大切に。それが最後に物を言います。

さてさて、先日4年生授業の準備をしていて、ふと生じた疑問について。

今年採用している教材には、宮沢賢治の『やまなし』という著名な作品が掲載されております。この作品、数多くの国語教科書に載録されてきたので、多くの人が知る宮沢賢治作品。短い作品ですので、ご興味のある方は下記リンクからどうぞ。「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」なんて聞くと、小学生時代を思い出す方も多いかもしれませんね。

宮沢賢治 やまなし
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46605_31178.html

ただ、私は学校で「やまなし」を習ったことがなく、大人になってからこの賢治作品を知りました。宮沢賢治の美学が詰まった詩的な小品ですね。

で、先述の4年生用教材には、「二疋はまるで声も出ず居すくまってしまいました。」という部分の説明を求める問題がありました。

(以降、『やまなし』を既知のものとして書きます。できれば上記リンクから作品をお読みのうえご覧いただければ。)

二疋の幼い蟹が、水底から魚の動きを眺めている。と、その魚が突如現われたカワセミ(鳥)に捕食される。

そんな光景のあとで、「二疋はまるで声も出ず居すくまってしまいました。」という部分が来ます。

穏やかな日常を突如打ち破る暴力・殺生。幼いが故に明確に言語化できないものの、なにか尋常ならざる禍々しいことが目の前で発生しているわけですから、幼い二疋が全く声も出せず、居すくまってしまうのも無理はありません。

小学4年生に求める解答要素としては、下記のようなものになるでしょう。

(当塾では、既成教材を採用する際、解答は私の方で全面的に吟味しています。解答を形作る要素に分解したり、リライトしたりして、かなり手を入れてから授業に利用。)

1 主語 : 二ひきのかにが、
2 事実 : 目の前を泳いでいた魚がとつぜん何かにさらわれてしまうのを見て
3 感情 : おそろしくなり or きょうふから
4 身体的反応 : まったく声が出せなくなった and 体も動かなくなった

[1主語]は傍線部内に明示されています。

[2事実]は傍線直前部分に明示されています。ここを書かないと[3感情]が唐突な感じになってしまうでしょう。

問題は、[3感情]と[4身体的反応]の部分です。小学4年生であれば、死を意識させる事態が登場人物(ここでは動物ですが)の眼前で発生した以上、「恐怖心が起こった」ということは読み取りたいところですね。

加えて[4身体的反応]の「まるで〜ず」という定型的表現。「まったく・ぜんぜん〜ない」といったより平易な表現に置き換えることも、小学4年生になら期待してもいいかなと思います。

で、今日書きたかったところはここなんですが(いつもながら前振り長い)、「居すくまる」という動詞の解釈です。

もちろん、「すくむ」「すくまる」という動詞が、「(緊張や恐怖などで)体が動かなくなる」という意味であるというレベルでは、ぜひ小学生にも分かってもらいたいんです。しっかりと覚えて欲しいので「ここだいじだからノートに書いてね〜」と注意喚起しながら、「すくむ・すくまる=(きんちょうしたり、こわかったりして)体が動かなくなる」と板書し、「ちょうど氷みたいにカチーンと固まっているイメージだよ」と話すわけです。


しかし「居すくまる」という動詞をより精密に考えた場合はどうなのか。ここら辺は、小学生中学生レベルには全く理解してもらう必要もないので、授業で説明を加えることもないんですが、大人である皆様はどういったイメージ(身体的挙動・静止)を持たれるでしょうか?

まず、いくつかの代表的な国語辞典から定義を引用してみましょう。赤文字化はブログ筆者によります。

おそろしさに、すわったまま動けなくなる。いすくむ。
(三省堂国語辞典)

(恐怖などのために)座ったまま動けなくなる。
(岩波国語辞典)

恐ろしさなどのために、その場に座ったまま動けなくなる。いすくむ。
(明鏡国語辞典)

恐ろしさ、寒さなどのために、すわったまま動けなくなる。また、じっとすわったまま動かないでいる。いすくむ。
(精選版日本国語大辞典)

どうでしょうか。「いすくまる」には「座ったまま」動けなくなるというイメージがあることが分かりますね。

これは古語を理解している人なら、容易に理解できるであろうと思います。

古語で「居る(ゐる)」という動詞は、「一つのところにじっとしている」というイメージをもっていまして、英語の分かる高校生を相手に古文の授業をしているときなんかは、「exist (実在する)」のイメージじゃなくて、「be seated (座っている)」のイメージで捉えるべき動詞だと説明しています。

別の言葉で言えば「定着」のイメージですから、人が主語なら「座っている」、動物が主語なら「(枝や地面に)止まっている」と現代語訳することになります。場合によっては、「滞在する」なんてこともあり得ます。

となれば、「居る」+「すくまる」=「居すくまる」が、「座ったまま動けなくなる」ということを意味するのは道理だと言えますね。

加えて、「立ちすくむ」という動詞の存在を考えあわせてみると、
「立ちすくむ」=「立ったまま動けなくなる」
「居すくまる」=「座ったまま動けなくなる」
というような定義は、守備範囲が綺麗に分かれて合理的に思えます。

ただ、副代表に「居すくまる」からイメージされる体の姿勢を聞いてみると、必ずしも「座っている感じ」があるとまでは言いにくいのではないかとのお言葉。う〜ん、確かにそうなんですよね。上記のように理屈のうえからは「座っている感じ」を加えるべきだと思いますし、自分が答案を書くなら「絶対に」入れておきますが、常識的な判断としてはどうなのか。

実は、有名な国語辞典の中にはこんな語義を掲げるものもあります。

恐怖・驚きなどで、身動きできず、その場でじっとしている。
(大辞林)

恐ろしさや寒さのあまり、身がすくんで動けなくなる。いすくむ。
(デジタル大辞泉)

こちらは「座っている感じ」を語義に含ませていません。そうなんですよね、世の中での使われ方を考えてみても、 必ずしも「座っている感じ」を伴っているとは言えない気がするんですよね。

ということで、どっちでもいいかなというのが結論なんですけれど(笑)、まあ言葉について色々考えるのは楽しいですよね、ということで。


ただ、宮沢賢治は言葉に敏感な人ですから、この「居すくまる」という語を適当に使ったわけではないでしょう。

日常の中に突如現出する暴力と死。幼い子どもに、それらを正確に理解し受容する能力はないが、日常生活に禍々しい亀裂が生じたことは直感として理解できる。その恐怖に子蟹たちは声も出なくなり、すべての脚を縮こまらせた結果、川底にほぼ接着するほど胴体は低くなった

宮沢賢治が「居すくまる」という語に込めたのは、こんなビジュアルイメージではなかったでしょうか。

あくまでも私の解釈ですので、皆さんもお好きに読んでいただければ。


(追記)

小学生向けの国語辞典の語釈を挙げておきます。

おそろしさ、寒さなどのために、すわったまま動けなくなる。
(小学館例解学習国語辞典)

あなどれません。なかなかすごい辞書ですね。