中村勘三郎・藤娘の思い出

中村勘三郎氏が亡くなりました。当代歌舞伎を代表する役者の、早すぎる逝去です。

中村勘三郎氏については、ある一つの舞台のことが思い出されます。私が若い頃、京都南座で見た舞踊「藤娘」です。確か師走の顔見世興行だったと思うんですが、勘三郎(当時はまだ勘九郎)の舞踊はあまりに見事で、惚けたように見とれた覚えがあります。

ある劇評家が、演劇と舞踊の違いを次のように述べたことがあります。「『演劇』はストーリーを追いかけるものだから頭を冴え渡らせて見るべきものだ、一方、『舞踊』は演者の身体の動きに酔うものだから頭がボンヤリとして当然だ。」

本当にその通りだと思います。精緻なストーリーを追いかける演劇にはクールな頭が必要ですが、舞踊はただただ酔えばいい。何も難しい知識は要りません。

優れた舞踊は近代合理主義的解釈を峻拒する。厳密な理性的態度を捨てよ。ただただ感性の海に溺れ酔うべし。なんて大学入試の現代文風に書くと、ちょっと格好付けすぎでしょうか。

ともあれ、勘九郎の「藤娘」は、まさに私を酔わせてくれる舞踊であり、私がそこまで舞踊に「酔った」ことは、その後数えるほどしかありません。「藤」のたおやかさ、「娘」の恥じらい、それを「男」の役者が演じるという倒錯。

他の役者の「藤娘」も見たことがありますが、下手な役者がドタドタと舞うと「大根娘」いや「大根婆」になるということを痛感させられるだけでした。

巧みな演者である勘九郎の舞踊を京の舞台で堪能できたことは、何時までも心に残り続けると思います。ご冥福をお祈り致します。