全国的に金環日食が見られた月曜日の話です。
個人的には「天体ショー」なるものにあまり興味が持てません。そもそも普段から天体は複雑な動きをしており、毎日何らかの観測すべき事象があるはずです。特定の一日だけ騒ぎたてる必要はない。
太陽が来る日も来る日も空に上り、私たちに恵みを与え、夕方にはまた地平線の向こうに沈んでゆく、そもそも、このこと自体が驚嘆に値する「ショー」なのではないのか。
と、普段はそんな屁理屈をこねている私も、息子の「金環日食をどうしても見たい」という希望を却下するわけには行かず、前もって購入しておいた「太陽観測用メガネ」を手に、朝早くから金環日食観測に出かけたのでありました。
日食が起こるシステムを息子に説明しながら出向いた先は、我が家の裏庭(と勝手に称している)大阪陸軍墓地。少し大きめの広場になっているので、さぞかし多くの人が集まっているだろうと思いきや、居たのは私と副代表と息子だけ。
曇り空ゆえ、持参した「太陽観測用メガネ」はほとんど役に立ちませんでした。遮光度が高すぎて、雲に隠れた太陽が全くといってよいほど観測できないんです。雲に隠れた太陽を、肉眼でチラッと見る方が、よっぽどよく「金環」具合が分かりました。
しかし、太陽というのは本当に明るいものですね。九割方が月の影に覆われているのに、こんなに地上が明るいとは。日食そのものより、太陽の恵みに思いを致す結果となりました。
帰宅後、息子は学校に。私は所用があり少し出かけていたんですが、帰宅した際に、お世話になった方の訃報を受けました。前日の深夜に亡くなったとの由。
義弟の祖父にあたる方なんですが、私自身、妹が嫁いだ先のご家庭と仲良くさせていただいているため、(厚かましくも)自分の祖父のような気持ちでお付き合いさせていただいていた方です。
ここ最近体調が優れないというお話を前日に伺ってはいましたが、人の命は定めなきもの、突然のお別れとなりました。仕事を終えた後、家族で最後のお別れを告げに式場に向かいましたが、どうしようもない寂しさがこみ上げます。
何年前だったか、ご自宅に伺ったとき、まだ言葉を話さなかった我が息子を膝に抱き、とても愛おしそうに「この子は本当に良い子になる、私は長年生きてきたから分かる」と何度も何度も言って下さったこと。好きなお酒を飲みながら楽しいお話をして下さったこと。まるで太陽のように、いつも穏やかな笑顔を浮かべていらっしゃったこと。色々なことが思い出されます。
日は昇り、日は沈む。人は生まれ、人は死ぬ。人間の命が太陽の隠喩なのか、太陽の運行が人間の隠喩なのか。
ともあれ、お祖父さんの太陽のような恵みに浴せたことを幸せに思います。安らかにお休みになることをお祈り申し上げます。