勉強とは考えること・勉強は単純作業にあらず

私も副代表も、勉強の目的は結局のところ、「自分でものを考える力をつける」というところにあると思っておりまして、塾での指導も、「考える力を身につけさせる」という点を重視しています。

「考える力を身につける」ということの重要性は、学年段階や学力レベルによって変わるものではありません。難関大学を志望する学生も、高校受験生も、小学一年生も、勉強の内容は異なりこそすれ、自主的に考える姿勢・問題にじっくり取り組む姿勢が何より大切です。

ただ、「言うは易し行うは難し」でありまして、子どもや学生に「自分でしっかり考える」ということを身に付けてもらうのは、かなり骨の折れる作業です。

大人であっても自分で考えて結論を出しそれに責任を持つ、というのはなかなか大変なもの。世の中を見回すと、何にも考えていない大人は多いので(笑)、子ども達に「自分でしっかり考えろ」と要求するのは、ある意味酷なのかもしれません。

しかし、自分で考えることを厭う姿勢を固めてしまうと、大人になってから困ります(何も考えていない人を雇うのは嫌ですよね)。受験レベルであっても、やっぱり自分で考える力が必要です。少なくとも、入学するに値する学校であれば、その入学試験は考える力を要求してきます。覚えている知識だけでパスできるイージーな入試なんてありません。

思うに、塾のメリットは、知識だけではなく「自分で考える力」を身に付けられるという点にあるはず。少なくとも当塾は、そういうポリシーで運営しています。


小学生をお預かりすると、時々ですが、勉強を「単純作業」だと考えている場合があります。原因はほぼ共通しています。今まで自分のしてきた(させられてきた)「勉強」が「単純作業」だったから、です。

具体的には、プリントをこなすだけの塾に通っていたケース、フラッシュカードなどを利用してやたらに暗記をさせる指導機関に通っていたケースが多いように思います。

確かに、教える側からすればすごく楽な指導でいいんですけれども、真面目にやっている塾からすると、手抜き指導だという気持ちを持ってしまうことは否めません。実際、プリントをやらせられるだけで何も教えてくれないから、という理由で当塾に移ってこられる方は多いんですが、むべなるかな。プリントをしてマルを付けてもらうだけなら、ご家庭で問題集を買ってきてやるのと何らの変わりもありません。

問題は、子どもが「プリントを埋めるという単純作業=勉強」と信じ込んでいる場合です。端的に言えば、そういう思い込みのまま「勉強」を続けていく子どもは、確実につまずいてしまいます。我々としては、勉強は単純作業ではなく自主的に考えることだ、というメッセージを伝えるところから始めることになります。

「プリントを埋めること自体は勉強でも何でもない」

「しっかり考えないと身に付かない」

「早くできたからといって別に偉くない」

「じっくり自分で考えて間違わない方が偉い」

もちろん、相手は子どもですから厳しくは伝えません。顔はにこにこ、口調も優しく丁寧に。でも内容は上記のような事柄ですから、結構キビシイかも(笑)。

柔軟に私たちの指導を受け入れてくれる子どもがほとんどですが、まれに「僕・私は勉強ができる!」という妙なプライドを強固に持ってしまっており、頑なに勉強姿勢を変えてくれない場合があります。実際、小学校低学年の間は、「勉強=単純作業」として対処していても、あまり大きな問題は起きませんので、その気持ちも分からなくはありません。が、やはり早めに矯正しておかないと、かなり難しい事態に陥ることが予想されます。

経験上、じっくり考える癖のある子どもほど、最終的な成績がいいということは断言できます。よりはっきり言えば、いわゆる上位校に入っていく子どもは、「じっくり思考型」であり「単純作業型」は皆無です。「単純作業型」の子どもは遅かれ早かれ、成績が伸び悩むことになります(遅くとも受験の頃には破綻が露呈してしまう)。

私たちは、できるだけそういう事態を回避して欲しいと願って指導を続けております。