悲しみを悲しむ

今日は大晦日。本年2011年も、当塾は大過なく年を越せそうです。これも塾生・保護者の皆様方のお陰。ブログ記事上ではありますが、心より感謝申し上げたいと存じます。


何事もなく新年を迎えること。そんな当たり前にも思える事が、今年は本当に幸せで有り難く感じられてなりません。それはもちろん、今年3月の東日本大震災、そして未曾有の原発事故に、「命」というもののはかなさを嫌と言うほど見せつけられたからです。

もちろん、地震がなくとも「命」は、はかなく不安定なものです。しかし、人間はそれを忘れたい。真剣に考えたくない。被災しなかった人間ができることは、(各自の力の範囲内での援助は当然として、)「命」というもののはかなさを胸に刻み込んで、大切な人を失った人に共感することなのではないか。

家族や親しい人を失った方々の悲しみは、いまだ止まることなく彼らの胸をえぐり続けているに違いなく、街が復興し、経済が回り始めても、その悲しみが完全に消えることはないでしょう。むしろ、彼らには、世間が無情にも亡くなった人を忘れ去っていくように見えるのではないか。そして、悲しいことですが、世間が亡くなった人々を忘却してゆくのは事実なのだと思います。

しかし、大切な人を失った人に、世間が「泣くな」「悲しむな」というのは間違いでしょう。人間、心の叫びを押さえ込むことは出来ませんし、出来ないのであればそれを正面から認めた方がよい。とてつもない悲しみの渦が襲ってきたのであれば、それに身を任せて悲しみの海に沈み、泣き叫んでもよい。いや、むしろ感情に身を任せるべきではないか。

私が父を失ったときは、「泣くな」「悲しむな」という言葉に憤りを感じ、あり得ないほど無神経な言葉だと感じました。もちろん、声をかけて下さる人も悪気はないんでしょうが、わき上がる悲しみは悲しみとして真正面から受け止め、「悲しむ」しかない。

2012年、大切な人を失った人の心が、少しでも癒されてゆく年になればと願わずにはおれません。


“I Miss You”- Daryl Hall

Harold Melvin & the Blue Notes のカバー曲です。亡くなったバンドメンバーへの追悼演奏。元歌詞の抜粋に訳を付けてみました。

Ever since you went away
I ain’t been doing nothing but thinking, thinking
With my head in my hands

あなたが去ってからも
僕はあなたのことを思い続けている
頭を抱え込んで

You’ve been away from me so long
And I just don’t think I can carry on so I start drinking, drinking
Each and every night

あなたが去って随分時が経つけれど
どうしてもうまくやっていけない
夜ごと酒に浸る

Trying to drown all my loneliness away
I don’t forget a day
I fall down on my knees wishing for your return
And oh, how I hurt

この切なさを酒で紛らそうとするけれど
そんなことであなたのことが忘れられるはずもない
ひざまずいてあなたが戻ることだけを祈る
失意に満ちた心で