何かを得るということは何かを捨てるということ

何かを得るということは、何かを捨てるということである

私はいつもそう思って暮らしているんですが、意外にそう思っている大人は少ないようです。

仕事の質を高めたい、出世して収入も上げたい、友人とも広く付き合いたい、家族との時間も大事にしたい、趣味も楽しみたい、勉強して知見も広めたい、のんびりと無為な時間も楽しみたい、人脈も広げたい、起業もしてみたい、家事もしっかりこなしたい、育児や教育にも力を入れたい、社会的に意義のあるボランティアにも参加したい、テレビも見たい、云々。

どう考えても無理ですよね。

時間やお金というリソース(資源)が有限である以上、すべてを手に入れることはできません。何かを選ばねばなりません。そして、何かを捨ててあきらめないとなりません。

しかし、日本人って、全てが手に入る、または、全てを手に入れなければならないと考えている人が多いように思えます。どうしてなんでしょう?そういう考えは、結局全てを中途半端にするだけなのではないか。

受験生を身近に見ていると、上記のことがさらに増幅されて見えます。

ハードなクラブを最後までやりとげたい、友人とも楽しく遊びたい、夏休みもエンジョイしたい、家族とも出かけたい、連続ドラマも見たい、のんびりする時間も欲しい、成績も急激に向上させたい、云々。

無理です。
よほどの能力を備えているなら別ですが……。

中学生・高校生の場合、まだ人生経験が乏しいため、そうした考えを持つことも、やむを得ないところはあります。しかし、今までの指導経験上、「合格するためには犠牲にせねばならないものもある」と割り切ることのできる生徒の方が、やはり強いですね。

結局、そういう生徒が志望高校や志望大学に合格してゆき、結果として多くのものを手に入れてゆく。「何も捨てないで全てを手に入れたい」という姿勢の人達よりも、彼・彼女らの方が、多くのものを手にしてゆくのは、人生の皮肉だと思います。


余談ですが、非婚率が上がっているのも、「何かを得たいが、何かを捨てるのは嫌だ」という考えと無縁ではないでしょう。結婚はしたいが、独身の頃と同じように遊び回りたい、可処分所得が減るのは困る、子どもの世話に明け暮れるのは嫌、親類づきあいが増えるのはうっとうしい、云々。

やっぱり、これまた無理な注文です。

既婚者としては、「確かに結婚で失うものもあるかもしれないけれど、得られるものの方がずっと多くて楽しいよ」と、アドバイスしたいんですけどね(笑)。

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