トラブル解決と国語力

前回記事の続きです。

毎日新聞2010年7月3日付、青少年読書感想文全国コンクールに関する特集、童話作家・肥田美代子氏の寄稿をもう少し紹介してみましょう。

(上記記事より一部を引用)
国語力は、社会人にも欠くことのできない総合的な基礎学力である。人に伝わる営業報告を書いたり、顧客とのトラブルを解決したりする力は、適切な書き言葉と話し言葉を使えるかどうかにかかわる。幅広い読書体験のある人は、語彙も豊富で知識の応用力もあり、そうでない人よりも、いろいろな面で優位性が感じられる。読書習慣は、目先の利益は生まないけれど、社会生活や職業生活のなかで如実に表れるのである。

国語塾・学習塾としては、「その通り!」とだけ言えばいいのかもしれませんが、何だかちょっとひっかかります。

もちろん、社会人にも国語力は必要でしょう。ある意味、学生よりもその重要性は高いかもしれません。そして、社会人に読書・語彙の蓄積が必要なことも確かです。しかし、それらは当然すぎてわざわざ言うほどのことでもない。

私がひっかかるのは、「顧客とのトラブルを解決したりする力」が国語力(だけ)に関係する、という点です。そりゃ、失礼な言葉遣いをされたら、ムカッと来ます。丁寧で正しい言葉遣いの方がいいに決まっています。が、丁寧な言葉遣いをして、正しい日本語を使っていればそれでトラブルは解決するんでしょうか。

そんなことはないですよね。やはり、誠実な気持ちや謝罪の心があって初めてトラブルが解決するはずです。以前、とある店でトラブルが起きたとき、店員が謝罪してくれたことがあります。正しい言葉、丁寧な言葉遣いです。でも、でも、何だかひっかかる。全く心がこもっていないんですよね。ぞんざいな言葉遣いで対応してくれたなら、責任者を呼ぶなり何らかの手段を取れるんでしょうが、表面的には丁寧な謝罪をしてくれているので、それもしにくい。何だか逆にフラストレーションが溜まります(笑)。

こんなとき、孔子先生の言葉が思い浮かびます。

君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す

意訳すれば、「口下手でもいいよ、行いが正しくて機敏ならね」というところです。さすが孔子先生であります。