白川静読本

アマゾンで購入した『白川静読本』が先程到着。

白川静読本
五木 寛之 / 松岡 正剛 / 宮城谷 昌光 / 立花 隆 / 内田 樹 / 町田 康

白川静読本

待ちきれず食事をしながら少し読んでみましたが、箸が止まる止まる(笑)。白川先生を敬愛する私にとっては、最高に面白い書です。

白川静先生は、「漢字学」、否、「文字学」の大碩学です。「東アジア古代文明学」の大学者と言ってもいい。とにかく学者の中の学者という方です。ご存知でない方は、白川静 – Wikipedia をどうぞ。

有名な学者や作家のものした白川先生に関する文章を集めたのが、この『白川静読本』なんですが、執筆陣がとにかく豪華。いずれの執筆者も、白川先生への強い敬意・愛情・畏怖をこめた文章を書いておられます。松岡正剛・宮城谷昌光・内田樹・石川九楊、町田康まで!

白川先生の学説がアカデミズムから無視されがちだったということは、日本の大学の閉鎖性を証明しているんでしょうが、これだけ(広義の)非アカデミズムの人々から敬愛されている学者は珍しいんじゃないでしょうか。

まだ、全部は読んでいないんですが、紀田順一郎氏の強く共感を覚える文章を少し引用します。

「文字は理解することによってのみ、知識となりうる。文字の構造的な意味が理解されれば、これを知識として吸収することは容易であろう。また文字の訓義的使用が保証されるならば、文字は国語としての生命をもちつづけ、新しい造語力を生み出すこともできるであろう」という主張には、まさに頂門の一針というにふさわしいものを感じた。漢字の構造的な意味について無関心なことが、おかしな活字体の大量生産につながり、教育の現場での一点一画にこだわりすぎた指導となってあらわれているのである。
(中略)
ある会合で私はこれらの文字資料(ブログ作成者注:白川先生の『字通』などの資料を指す)を参考に、小中学校における無根拠な漢字指導の批判を試みたものである。
(『白川静読本』 紀田順一郎「字通刊行記念-日本語空洞化に抗して」より引用)

そうなんですよね。私もよく思うんですが、小中学校の漢字指導って、かなりメチャクチャなんですよ。本来、漢字には決まった書き順などないのに、旧文部省が適当に決めた書き順を必死で覚えさせたり、漢字の構造を全く無視した指導をしていたり。小中学校の先生方がお忙しいのはよく分かりますが、もう少し漢字の本質的な部分に理解を持って頂ければ、という気はします。

当塾は、生徒の前では、学校を否定したり批判したりということは絶対にしないので、上記のような部分についても、学校で教わる内容と矛盾なく教えるようにしております。つまり、あまり意味がないと思っても、学校で教わる以上はちゃんとできるように指導しています。塾としては、やっぱり学校での成績も上げて欲しいですしね。ちょっと弱腰(笑)。

『白川静読本』、読了したらまた記事を書くかもしれません。

<追記>
この記事をアップしてから気づきましたが、本日2010年4月9日は、白川静先生の生誕100周年の日なんですね。ひょっとして白川先生が憑依して下さったとか?(笑)