日本語を 学んでくれて ありがとう

今年は何となく語学学習の年にしようという思いがあって、1月以来あれこれと自分なりに独習しているんですが、本当に外国語の勉強って面白いものだと思います。

母語以外を学習する際、特に学習初期段階では、文法習得がきわめて重要。

時々、文法なんて気にしなくてよいという人がいますが、(失礼ながら)そんな鈍くさい人の意見に耳を貸してはいけません。そんな人達の到達点は、「こんにちは」「コーヒーを下さい」「さようなら」と話すぐらいですからね。

無駄な勉強をしたくなければ、絶対に文法は必要です。文法は「面倒な約束事」ではありません。合理的かつスピーディに学習を進めるための「最高のツール」です。というか、文法を学ぼうという気持ちのない人に語学は向きません。

そんなわけで、今年の私は外国語の文法に親しむ機会が増えているんですが、勉強していて驚かされる機会がままあります。

「ああ、これは本当に合理的なルールだな」と唸らされることもあれば、「えええ?何でこんなに面倒なルールになってんのん?」と笑わされることもあり。これは外国の人が日本語文法を勉強していて感じることの裏返しなんだろうなと思います。


私は日本語をこよなく愛しています(いきなり愛の告白)。

愛する理由は人それぞれだと思うんですが、私がとりわけ日本語で気に入っているのは、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」という多種の文字を駆使して表記するところなんですよね。この表記スタイルは諸外国語を見回してみても、かなり珍しい方であろうと思います(逆に言えば、日本語の他の特徴は世界的に見てそれほど珍しいものではないと思う)。

表音文字のひらがな・カタカナが100文字近くあるだけでなく、 表意文字の漢字に至っては数万文字が用意されているわけで、文字だけを見ても最高のワンダーランド。

ただ、日本語を学ぶ外国人からすると、学習に大変な労力が必要となることは間違いありません。今は非常に流暢な日本語を使われる、あるインテリの外国人がどこかに書かれていましたが、日本語を学び始めた際、文字が何種もあり、漢字に至っては数万文字存在する(しかも読みが一文字につき何通りもある)ということを知るに至って、とてつもない絶望感に襲われたとか。

そのことを考えれば、外国語の文法がちょっとややこしいぐらいで日本語話者は文句を言うべきではありません。日本語を学んでくれる人達は、文法だけじゃなくて一生懸命文字まで勉強してくれているんですから。

コンビニやマクドナルドで、外国の方が一生懸命日本語で対応してくれているのを見ると、私はいつも有り難い気持ちになります。ああ、こんな日本語を勉強してくれてありがとうっ!自分の推しアイドルを同じように推してくれている人を見つけた時のような気分とでも言えばいいでしょうか……。違うか(笑)。