ニュースで読んだんですが、ロザンの菅ちゃんが『身の丈にあった勉強法』という本を出したらしい。
ロザンが教える「身の丈にあった勉強法」…まずは国語、テクニックは最後の手段http://www.hochi.co.jp/topics/serial/CO019592/20171110-OHT1T50156.html
書籍自体は読んでいませんので、まだ評価できないんですが、記事中にいい指摘を見つけたので、ちょっとご紹介しようかと思った次第。
この本、菅ちゃんが「パートナーの“高性能勉強ロボ”宇治原史規を徹底解剖して、理想的な勉強法のエッセンスをまとめた」とのこと。面識こそありませんが、宇治原君は私の後輩にあたるので、わが家では「ウージー」と称されているんですよね。どうでもいい話ですが(笑)。
以下、引用部分はすべて上記記事からとなります。
本書の中で、学習は「まずは国語。」という印象的な指摘がある。
菅「数学でも、英語でも文章で形成されている。そこを読み取らないと解けないと思うんですよ。まずは国語がちゃんとできたほうがいいかな、というのが言いたかったこと。現代文は勉強方法が難しいですからね」
そうなんですよね、当塾では「国語力・読解力の重視」などと称していますが、要するに言語読解能力・言語操作能力を高めたほうがいいよと言いたいわけです。英語であれ、数学であれ、結局は「言語」ですからね。
小学生に数学の話(といっても私がかろうじて知っているのは大学受験レベルの数学までですが)をすると、ものすごく驚かれます。
「大学受験の数学って、計算なんてほとんどする必要のない問題が一杯あるよ。」
「ええっ!じゃあ何を解くの?」
「何かが正しいことを説明する問題が多いねん。説明する言葉は『数と式』になるけどね。数学的な作文をする感じ。」
「なにそれ、難しそう。」
「うん、そうやね。先生もあんまり好きじゃなかったけどね。」
数学の話をあまりするとボロが出るのでこれぐらいにしておきます(笑)。
宇治原「勉強法で言うと、現代文って一番難しいんですよね。恐らく参考書とか問題集も少ないんじゃないか。学生時代に、新聞とか本とか読むようにはしていたんですけど。文章を読む量を増やすのが良い勉強法だと思うんですけど。一番大事な上に一番難しいと学生時代から思っていました。新聞は絶対読んだほうがいいと思いますよ」
さすが宇治原君、ほんとによく分かってる。もっとも勉強しにくく、成績の上げにくいのは「国語」とりわけ「現代文」。これは文系理系を問わない事実だと思います。
そんなこと言うけど、お前んとこは国語塾だからポジション・トークしてるんじゃないの?
いやいや、本当にそうなんですよ。特にハイレベルな受験生にとっては。逆に言えば、「現代文ってクソ簡単だよな」「日本語を喋ってるんだから国語なんて簡単さ」なんて言っている受験生は大したことのない受験生だとお考えいただいて結構です(笑)。
以前、現役で京大医学部に合格した生徒さんを指導していたことがあります。もちろん、優秀な生徒さんでしたが、彼曰く、「先生、受験が終わって実感しましたけど、現代文ほど難しい教科ってないですよね!他の教科は雑音があっても問題なく勉強できましたけど、現代文だけは静寂な空間で最大限に集中しないと答案を書いたりできませんでしたもん。」
やっぱりハイレベルな受験生ほどそう感じるんだなと思いました。他教科のようなはっきりとした定型、つまり構文だとか公式だとかが無いにもかかわらず、的確な文章解釈を行い、きっちりとした定型(答案)にまとめ上げなくてはならないのが現代文という教科。いわば、道なきところに道を見つけてたどるような心細さや困難さがある。そりゃ、難しくないはずがない。
ウージーは、「参考書や問題集が少ない」と言っていますが、正確には「役に立つ参考書や問題集」という風に限定をつけるべきでしょうね。現代文って、誰にでも通用する勉強法がなかなか確立できませんので、やむを得ないところではありますが。
それにもかかわらず、現代文の重要性は(入試段階は言うに及ばず)、社会に出てからも非常に高い。
「国語、現代文は一番大事な上に一番難しい。」
宇治原君の名言だと思います。