龍馬の手紙「日本を今一度せんたくいたし申候事」

インターネットの電子図書館、青空文庫のサイトをウロウロしていると、時々面白い文章に出くわします。

ここ最近で面白いと思ったのは、「最新公開作品」のコーナーで発見した坂本龍馬の手紙です。

幕末~明治を舞台とした小説は結構好きですし、龍馬がいわゆる「手紙魔」で、興味深い手紙をたくさん残したことももちろん知っています。しかし、龍馬はあまりにメジャーすぎて、私にとっては逆に興味が持てなかった人物の一人です。彼を題材とした書物はごまんとありますが、どうも食指が動かない。

私が思うに、明治時代は日本の青春時代。とすれば、幕末時代は青春時代の直前期、つまり日本の思春期。その思春期を駆け抜けたいかにも思春期らしい男。それが私の坂本龍馬観です。

まぁ、そんなことはどうでもいいですね(笑)。

国語塾・学習塾らしく、龍馬の手紙を少し見てみましょう。

引用は下記リンクから。趣旨を損なわない程度に整形してあります。

坂本龍馬 手紙 文久三年六月二十九日 坂本乙女あて
http://www.aozora.gr.jp/cards/000908/files/51396_39894.html

文久三年六月二十九日、坂本乙女(龍馬の姉)あての手紙です。

この文ハ極大事の事斗ニて、けしてべちや/\シャベクリにハ、ホヽヲホヽヲいややの、けして見せられるぞへ

冒頭部分です。「この手紙は極めて重大なことばかりが書いてあるので、おしゃべりな奴には見せないようにな。」という趣旨です。

姉に書いているということもあるんでしょうが、くだけた文章。表現しにくいですが、飛び跳ねる感じ・躍動感が、この部分からだけでも伝わります。さすがに「馬」だけはある!

この後、少し近況報告が入って、次の部分につながります。

是皆姦吏の夷人と内通いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志はたもと大名其余段々と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内下サルヽ事両度。然ニ龍馬すこしもつかへをもとめず。実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし。


「外敵と通ずる悪役人を同士達と共に打ち殺す、そして『日本を今一度せんたくいたし申候事』(日本を今一度洗濯し申し上げます事)が神への願いでございます。某大藩も大いに同意して、俺をスカウトしてくれるんだけど、俺に言ってくるなんて、よっぽど人材が払底してるんだろうな。嘆かわしい。」
といった内容です。

この手紙を読んで初めて知ったんですが、「日本を今一度せんたくいたし申候事」という有名なフレーズは、こういう文脈で出てきていたんですね。

ある意味テロリズムによって、「日本を今一度せんたく」するというわけですから、穏やかではない。もちろん、時代背景を考える必要はありますが、前後関係を飛ばしてこのフレーズだけが取り上げられるのは、やや偏りを感じます。

少し国語の話になりますが、文章の一部だけを取り上げると、筆者の意図するところが正確に伝わらないことがあります。文章は、文脈の中に置かれて、全体の流れの中に置かれて、初めて十全な意味が伝わると考えておくべきでしょう。

閑話休題。この龍馬の文章、何と言ってもリズミカルです。しかも理路整然と事実が説明されているため、内容がスッと頭に入ってくる。謙虚かつ客観的に事態を眺めているところも、彼の知性的な一面を感じさせます。

なんのうきよハ三文五厘よ。ぶんと。へのなる。ほど。やつて見よ。死だら野べのこつハ白石チヽリやチリ/\

最後の方の、姉への私信的な部分です。

「この浮き世なんて大したもんじゃねぇ、ブンと屁でも鳴らすぐらいにやってみろよ。死んだら野辺の白骨・路傍の石になるばかりよ。チリリンチリリン」という感じでしょうか。

こうした姉への私信的な部分はかなりエキセントリックな文体です。奇妙な句点の使い方といい、いきなり節が聞こえてくるところといい、まるで「跳ね馬」のよう。

こうした一通の手紙からも、龍馬の性格や才能が浮かび上がってきます。世上言われるように、龍馬が魅力的な人物であったことは間違いないようです。