ダフトパンク(Daft Punk, フランスのテクノ・ユニット)が解散したというニュースで、今日の世界の音楽界は持ち切りです。いつでもロボット風のマスクを被っていて、その素顔は明らかではないんですが、音楽はとてもキャッチーなテクノポップ。世界的な支持を受けているユニットです。
もちろん私も好きで、どのアルバムも聴いてきました。彼らと私は同世代ですが、アメリカというポピュラー音楽最先端国の外側で、多分同じような音楽を聴いて愛して育ってきたんだなと強く感じます。育った国は違えど、そんな連帯感・共感を覚えるユニットだったんですよね。私に才能があれば、きっとダフトパンクみたいなのをやってたと思います。まあ才能のかけらもないんですけど……(笑)。
一番再生回数の多い曲をご紹介しておきましょう(現時点で3億回弱)。ご覧いただければお分かりかと思いますが、作画はもちろん松本零士。自分たちの音楽が老若男女に向けたものであるという矜持がよく表現されており、素晴らしいと思います。ちなみに彼らが松本零士のファンだった縁で、下記のミュージックビデオ以外も松本零士とコラボしていて、その集成編は『インターステラ5555』という映画になっています。
Daft Punk – One More Time (Official Video)
2021.02.22に突如、彼らの新ビデオが公開されたんですが、その名も ” Epilogue “。この映像をもってダフトパンク解散との由。私も見ましたが、銀色ダフトパンクが自ら爆死を選び、金色ダフトパンクは一人荒野を歩み続ける、という内容でした(長尺かつ刺激的な映像なので、リンクを張るに止めておきます)。うむむ。
で、ここからが本題。「引退」って、こんなにはっきり線を引かないとならないものなんでしょうか。
もちろん、人によって価値観は様々です。はっきりと人々に別れを告げて、自らの人生に区切りをつけるというのは、それはそれで高潔な姿勢だと思います。
ただ、人生には何があるか分かりません。創作意欲が再び高まってきて、やっぱり新しい作品を世に問いたいなんてことがあるかもしれない。そんな時引退表明をしてしまっていると、それに縛られてしまう。もちろん、やっぱり引退撤回するよ、ということでいいと思うんですが、大々的に引退表明をし、引退興行で大もうけしたりしていると、どうも格好がつかない気もします。
個人的には、何かから引退する時って、誰にも言わずシレッと身を引けばいいと思うんですよね。ファンの人々は(結果的に叶わないとしても)「新作まだかな〜今度はどんな作品かな〜」と期待することができますし、クリエイター側も徐々に気が変わってきた際は、復活するなんてことも可能ですからね。何も自ら退路を断たなくてもよかろうに。
そんな意味で、ダフトパンクもここまで過激な解散表明をしなくてもいいのに、という気持ちはぬぐえません。同じように、安室奈美恵は引退表明すべきでなかったと今でも思っています。
宮崎駿やエリック・クラプトンは何度も何度も引退表明をしている「引退のプロ」ですが、私はそれぐらい厚かましい方が本当のクリエイターらしくていい気がします。創作者というのは、やむにやまれぬものが心中にあって表現活動をしているはずですからね。加えてファンからしても、復活は嬉しいことですから。
私どもも、塾稼業を引退する日がいつか来るはずですが、そのときはシレッと身を引くつもりでいます。もちろん塾生さんや保護者様にご迷惑をかけないよう、何年か前から計画的に引退を実施していくつもりですが、大々的に「私達引退します!ふつうの女の子に、じゃなかった、夫婦に戻ります!」なんて表明することはまずないと思います。
(あ、若い人には分かりにくいネタでしたね。昔、キャンディーズというアイドルが、引退する際に「私達ふつうの女の子に戻ります」という名セリフを残しました。)
この話をさらに進めると、必然的に「葬儀」の話になります。
「死」というのは、「この世からの引退」とも言えますが、ここでも個人的には同じ思いがあります。つまり、自分が死んだ時は、わざわざ葬儀をして人に面倒をかけたくない、シレッと消えたいという思いです。
葬儀って、列席するのが大変なのは言うまでもありませんが、とにかく心理的にきつい儀式ですよね。亡き人の不在を突きつけられ、憔悴したご家族の姿を見て。せきあえぬ涙を人様に見せるのも楽しいことではありません。
それなら、こうしたらどうか。自分が死去しても家族(と役所)以外には秘匿する。葬儀も執り行わない。家族以外は誰も自分の死を知らない。誰かが連絡してきた時だけ、こっそり教える。
「宮田君いますか?」
「あ〜、父なら5年前にのんきに他界しました。他言不要と申しておりましたので、どなたもご存知ありません。他の方にも他言なさらぬようお願い申し上げます。」
「はぁ???」
みたいな。でも、こういう事態があった時、その人の中で私は5年間「生きている」わけです。その人に与える心理的インパクトも少しは弱められるでしょうし、葬儀という面倒にも巻き込まなくてすみます。
死後の世界があるとしたら、
「○○君、久しぶりやね!」
「あれっ、宮田君もこっちに来てたんだ!知らなかったよ!」
「こっちでもよろしくね〜」
みたいな感じでいいかなと。ダメですかね……(笑)。