連休も終わり、当塾も平常運転に戻っておりますが、長期休暇明けは、身体と心をプライベートモードから仕事モードに切り替える必要があります。
ただ、当塾の場合、やる気に溢れた生徒が多いので、授業が始まればむしろ楽しく過ごしているようなところもあります。やっぱりやる気に満ちた生徒を教えるのはやり甲斐のあることですしね。5月からの新入生も、皆やる気に溢れているので、こちらも楽しみ。
こんなことを書いてはいけないかもしれませんが、やる気のない生徒を指導するのは、本当に骨が折れます。これ、何年やってきても変わらない。「本来の指導」のみならず「やる気を引きだす作業」が付加され、しかも後者の方に莫大な労力を割かねばならないからです。
もちろん、それも仕事の内容であることは百も承知ですし、「やる気がない」ということでいきなり入塾をお断りすることもありませんが、ただやっぱり、「やる気を引きだす作業」に多くの時間や労力を割かねばならないため、「本来の指導」はどうしても薄くなりがち。いきおい、学力の伸びはどうしても鈍くなります。これは当塾に限ったことではなく、どこの塾さんも同じことでしょうけれど。
思うんですが、「意欲」というのはなかなか他人が引き出しにくいもの。最終的には、自分で引き出すしかありません。「やる気スイッチ」がどうたらこうたらというような話がありますが、他人にそのスイッチを探してもらおう・押してもらおうなんて魂胆では先が思いやられます。
「意欲のある人が良い席を確保しますので、意欲のない人は悪いけど残りの席に座っといて下さいね、場合によっては席がなくなっているかもしれませんが、そのときは退場をお願いしますね」というのがこの世のルール。厳しいようですが、現実である以上受け入れざるを得ません。
そんなわけで、幼稚園〜小学生低学年にかけては「勉強そのもの」よりも(やや大げさかもしれませんが)「人生に対する意欲」を重視する方が、結局はよい結果につながるような気がしてなりません。「やる気」さえあれば、「勉強」は後でなんとでもなります。少なくとも、私どもが見てきた範囲ではそうだったんですよね。
「なぜ勉強をしなくてはならないのか」という問いがありますが、個人的には「別に嫌ならしなくてもいいよ」と言いたいところです。いや、立場上そんなことは生徒には言いませんけれど(笑)。
勉強って別に生存に必須というわけではありませんし、しなくても死にはしません。したい人だけがすればいい。ただ、勉強をしてこなかったことによる不利益は、自己責任として甘んじて受ける気概がいると思うんですよね。つまり、「勉強してきた人には100をあげましょう、勉強してこなかった人は1で我慢しなさいね」と言われても文句を言わないという心構えがいる。そして、人から「本当に馬鹿な人だな」と思われることも甘受せねばなりません。
私ならそんなのは嫌です、すごく。どうせなら100が欲しい(笑)。そして生徒達にも1で我慢するなんていう選択をして欲しくないと願っています。
そういう気持ちで塾を運営していると、同じタイプの人たちが集まりやすいんですよね。ちゃんと勉強したい(させたい)という方が集まる塾になる。不思議なことですけれど。
「類は友を呼ぶ」というのは、塾運営にも当てはまることわざだと思います。